陵墓地形図集成

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 陵墓地形図集成 陵墓地形図集成(りょうぼちけいずしゅうせい)2017年9月18日記 陵墓地形図集成 宗諄女王墓 9月の三連休を使い陵墓地形図集成の京都府部分を表示する地図を作成してみた。陵墓地形図集成は、宮内庁書陵部保管の陵、墓、分骨所、火葬塚、灰塚などの測量図を纏めた書物。1999年に宮内庁書陵部陵墓課編で「宮内庁書…

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禁門変長州藩殉難者塔 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 禁門変長州藩殉難者塔 その3 禁門変長州藩殉難者塔(きんもんのへんちょうしゅうはんじゅんなんしゃのとう)その3 2010年1月17日訪問 相国寺禁門変長州藩殉難者塔 禁門変長州藩殉難者塔 その2では、明田鉄男氏の「幕末維新全殉難者名鑑」(新人物往来社 1986年刊)を中心に長州兵の戦闘状況を見てきた。いよいよ、この項で…

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禁門変長州藩殉難者塔 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 禁門変長州藩殉難者塔 その2 禁門変長州藩殉難者塔(きんもんのへんちょうしゅうはんじゅんなんしゃのとう)その2 2010年1月17日訪問 相国寺 禁門変長州藩殉難者塔 禁門変長州藩殉難者塔では、幕末維新について記された書籍が上善寺とこの相国寺の首塚をどのように紹介しているかを見た後、副碑の文面を読んだ。そして薩摩側の史…

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禁門変長州藩殉難者塔

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 禁門変長州藩殉難者塔 禁門変長州藩殉難者塔(きんもんのへんちょうしゅうはんじゅんなんしゃのとう) 2010年1月17日訪問 相国寺 禁門変長州藩殉難者塔 相国寺の境内にある後水尾天皇髪歯塚と宗旦稲荷に続き、墓地内の禁門変長州藩殉難者塔を参拝する。 浴室と塔頭・大光明寺の間の道を西に進んだ先に相国寺の墓地が現れる。入口の…

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後水尾天皇髪歯塚

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 後水尾天皇髪歯塚 後水尾天皇髪歯塚(ごみずのおてんのうはつしづか) 2010年1月17日訪問 後水尾天皇髪歯塚 東門から相国寺の境内に入り禁門変長州藩殉職者塔に向う途中、経蔵の北側で後水尾天皇の髪歯塚を発見した。。相国寺の公式HPに掲載されている境内図には下記のような説明がある。後水尾帝歯髪塚 後水尾上皇(ごみずのおじ…

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薩摩藩戦死者の墓 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 その4 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか)その4 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓  相国寺の東門と墓地との位置関係 薩摩藩戦死者の墓 その3では、薩摩藩戦死者の墓に祀られている人々の中で、甲子戦争戦死者の行動と靖国神社への合祀について書いてきた。この項ではもうひとつの戦い…

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薩摩藩戦死者の墓 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 その2 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか)その2 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓 薩摩藩戦死者の墓では、薩摩藩と墓地を管理している相国寺塔頭・林光院の関係から甲子戦争の戦闘直前までの状況を書いてきた。この項では甲子戦争の戦闘状況を見て行く。 甲子戦争は、伏見より進撃した長…

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薩摩藩戦死者の墓

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか) 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓 上御霊神社の西の鳥居にある応仁の乱勃発地の石碑を確認した後、薩摩藩戦死者の墓に向う。相国寺の墓地ではあるものの境内の外に位置する。塔頭の林光院の東側にある東門を潜った外側、上立売通の北側にある幼稚園の西側…

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慶光天皇廬山寺陵 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その5 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その5 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺陵 慶光天皇廬山寺陵 その4では、尊号一件の目的とするところとその始まり、そして松平定信の老中筆頭への昇格と関白鷹司輔平との交渉の経緯を書いてきた。ここでは朝廷側から申し入れられた“小一条院に準…

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慶光天皇廬山寺陵 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その4 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その4 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺 慶光天皇廬山寺陵 その3では、天明8年(1788)1月30日に発生した天明の大火による御所焼失から寛政度の復古造営までの朝幕交渉について見て来た。御所御千度参において幕府との交渉の機会を得た光…

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慶光天皇廬山寺陵 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その3 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その3 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺 南北に長く複数の墓石が配置されている 慶光天皇廬山寺陵 その2では、元々病弱であった後桃園天皇の急逝、安永8年(1779)11月25日の光格天皇即位から始め、天明7年(1787)6月7日より発…

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慶光天皇廬山寺陵 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その2 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その2 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺陵 慶光天皇廬山寺陵では、桃園天皇から光格天皇に至る江戸時代中期の朝廷の様子を中心に幕府の衰退の兆しにも触れてきた。この項では光格天皇によって行われた朝儀の再興、朝権の回復について書いて行く。 …

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慶光天皇廬山寺陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう) 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺陵 薬医門の右脇に大阪皇陵巡拝会が建立した慶光天皇廬山寺陵への道標が残されているように、廬山寺の境内には慶光天皇の陵墓が築かれている。慶光天皇とは京都御苑 閑院宮邸 その2でも記したように閑院宮第2代典仁親王…

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廬山寺墓地

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 廬山寺墓地 廬山寺墓地(ろざんじぼち) 2010年1月17日訪問 廬山寺墓地 廬山寺 その2でも触れたように、2008年5月13日に廬山寺を拝観した際には廬山寺陵の存在を知らなかった。そのため御土居を訪れることもなかった。その後、陵墓に関係するHPや文献を調べて見逃していたことに気が付き、今回の訪問では予定に繰み込んだ…

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有智子内親王墓 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 有智子内親王墓 その2 有智子内親王墓(うちこないしんのうのはか)その2 2009年12月20日訪問 有智子内親王墓 常寂光寺の山門を出て東へ道を進むと、100メートル足らずで視界が開ける。角には三宅安兵衛遺志の小倉山・常寂光寺・歌仙祠の碑が建つ。この石碑は愛宕街道に建ち、常寂光寺への曲がり角を示すためのものである。北…

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亀山陵 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 亀山陵 その2 亀山陵(かめやまのみささぎ)その2 2009年11月29日訪問 亀山陵 亀山天皇の亀山陵は、後嵯峨天皇の嵯峨南陵の左側に同じ檜皮葺宝形造の法華堂という形で並ぶ。 大覚寺や妙心寺 その3で同じことを書いてきたが、父の後嵯峨天皇によって作りだされた両統迭立により、亀山天皇は最初の大覚寺統の天皇となっている。…

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嵯峨南陵 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨南陵 その2 嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)その2 2009年11月29日訪問 嵯峨南陵 左は亀山陵 右は嵯峨南陵 前回の訪問の時は、日没が近いうえに御陵への入口が見つからなかったが、今回は天龍寺方丈の拝観が始まる前に嵯峨南陵と亀山陵の参拝を行なうこととした。天龍寺の庫裏の脇を北に進むと小振りな門が現れる。恐ら…

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亀山陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 亀山陵 亀山陵(かめやまのみささぎ) 2009年1月12日訪問 亀山陵 亀山陵は、後嵯峨天皇の嵯峨南陵の左側に同じ檜皮葺宝形造の法華堂という形で並ぶ。 大覚寺や妙心寺 その3で同じことを書いてきたが、後嵯峨天皇によって作りだされた両統迭立によって、亀山天皇は最初の大覚寺統の天皇となる。 第90代亀山天皇は建長元年(12…

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嵯峨南陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨南陵 嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ) 2009年1月12日訪問 嵯峨南陵 左:亀山陵 右:嵯峨南陵 史跡名勝天然記念物に指定されている天龍寺の庭園を拝観した後、今年度最後の訪問地に向かう。2008年5月10日、京都駅に降り立ち小雨の泉涌寺に最初に訪れて以来、幸いにも8ヶ月の間に何回か京都に来る機会ができた。その…

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成菩提院陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 成菩提院陵 成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ) 2009年1月11日訪問 成菩提院陵 安樂壽院南陵と安楽寿院の間の道を再び西に向かう。さらに安樂壽院南陵の西側を南に進むと、片側2車線の大通り・新城南宮道に出る。そのまま西に進むと油小路通とその上に架かる阪神高速8号京都線の高架が現れる。とても京都の町並みとは思えな…

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安樂壽院南陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 安樂壽院南陵 安樂壽院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ) 2009年1月11日訪問 安樂壽院南陵 近鉄京都線の竹田駅から安楽寿院へ向かう道で見えた多宝塔が近衛天皇の安樂壽院南陵である。現在の安楽寿院の書院、庫裡、阿弥陀堂、大師堂そして三宝荒神社が東西軸に並ぶのに対して、安樂壽院南陵はその南に位置している。さらに…

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安樂壽院陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 安樂壽院陵 安樂壽院陵(あんらくじゅいんのみささぎ) 2009年1月11日訪問 安樂壽院陵 工事中 安楽寿院の収蔵庫から道路を隔てた西側に鳥羽上皇の安樂壽院陵がある。丁度訪問した時は陵の塀の工事中のようで、一部仮囲いが架かり、宝形の屋根のみがぽつんと見えた。 鳥羽天皇は康和5年(1103)堀川天皇と女御・藤原苡子の間に…

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東山本町陵墓参考地 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 東山本町陵墓参考地 その2 東山本町陵墓参考地(ひがしやまほんまちりょうぼさんこうち)その2 2009年1月11日訪問 東山本町陵墓参考地 六波羅門から東福寺の境外に出る。塔頭寺院の東光寺、桂昌院、荘厳院そして願成寺の前を通り、南門を潜り伏見街道に出る。伏見街道、すなわち本町通を北上し、京阪電鉄京阪本線の東福寺駅に向か…

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仲恭天皇 九條陵 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 仲恭天皇 九條陵 その2 仲恭天皇 九條陵(ちゅうきょうてんのう くじょうのみささぎ)その2  2008/12/22訪問 仲恭天皇九條陵 九條陵へ続く参道は、崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵の前を過ぎてさらに東に緩やかに上っていく。鳥羽伏見戦防長殉難者之墓を右手に見ながら、進むと宮内庁の管理用の建物があり、ここで参道は右手…

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崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵 崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵(こうかもんいんつきのわみなみりょう)  2008/12/22訪問 皇嘉門院月輪南陵 前回九條陵を訪問した際は、陵の場所が良く分からず東福寺の方に道順を尋ねた。どうも聞いた方もあまり詳しくなかったようで、おおよその場所の情報しか得られなかった。大雑把な地図を頼り…

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朝彦親王墓 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 朝彦親王墓 その3 朝彦親王墓(あさひこしんのうのはか)その3 2008年12月22日訪問 朝彦親王墓 安政6年(1859)12月7日に、退隠 永蟄居が加えられた朝彦親王は、12月11日に青蓮院を出て相国寺の塔頭桂芳軒に移り、獅子王院宮と名を変えて謹慎する。安政の大獄の処刑は安政6年(1859)10月27日の吉田松陰を…

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朝彦親王墓 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 朝彦親王墓 その2 朝彦親王墓(あさひこしんのうのはか)その2 2008年12月22日訪問 朝彦親王墓 朝彦親王は文政7年(1824)伏見宮邦家親王の第4王子として生まれている。朝彦親王も同様だが、父の邦家親王は17王子、15王女と現在では考えられないほど子宝に恵まれている。第1王子・山階宮晃親王(文化13年(1816…

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朝彦親王墓

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 朝彦親王墓 朝彦親王墓(あさひこしんのうのはか) 2008年12月22日訪問 朝彦親王墓 賀陽宮墓地と久邇宮墓地 雲龍院の拝観を終えて、泉涌寺の大門方向に歩いていくと、解脱金剛宝塔の南に賀陽宮墓地と久邇宮墓地がある。 文久3年(1863)の八月十八日の政変の政変後、一時尹宮と称していた中川宮朝彦親王は、翌元治元年(18…

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泉涌寺 月輪陵 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 泉涌寺 月輪陵 その2 泉涌寺 月輪陵(つきのわのみささぎ)その2 2008年12月22日訪問 泉涌寺 月輪陵・後月輪陵 孝明天皇の後月輪東山陵の参拝を終え参道を下る。御陵はかなり高台に造られているため、御座所などの建物の屋根が眼下に見える。御陵参道の入口から、泉涌寺の舎利殿前の受付で拝観料を納め、泉涌寺の境内に入る。…

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泉涌寺 後月輪東山陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 泉涌寺 後月輪東山陵 泉涌寺 後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ) 2008年12月22日訪問 泉涌寺 月輪東山陵 後堀川天皇の觀音寺陵の石段を下り、再び参道を進む。参道の終着点はかなり広い空間となり、トラックが2台止められていた。おそらく御陵の整備のためのものだろう。傍らには菊花の手水があった。月輪陵で見…

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