冷泉家

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 冷泉家 冷泉家(れいぜいけ) 2010年1月17日訪問 冷泉家 同志社大学今出川キャンパスの西門前に建つ薩摩藩邸跡の石碑は、この地に薩摩藩二本松邸があったことを示すものである。薩摩藩邸跡(二本松)からその4までの4回にわたり、薩摩藩の京屋敷について書いてきた。特にこの二本松藩邸は倒幕に舵を切っていく薩摩藩の政治活動の中…

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薩摩藩邸跡(二本松) その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩邸跡(二本松) その4 薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) その4 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡 京都市の駒札 薩摩藩邸跡(二本松) その3では本題である薩摩藩二本松藩邸が、この地に作られるまでの経緯を見てきた。この項では小松、西郷、大久保の京都での寓居跡と藩邸の位置関係を確認しておく。小松帯刀寓…

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薩摩藩邸跡(二本松) その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩邸跡(二本松) その3 薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) その3 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡 薩摩藩邸跡(二本松) その2では薩摩藩の岡崎藩邸と小松原調練場について見て来た。軍事力を京都の地に置くためには、藩兵が寄宿する場所の他に軍事訓練を行える場所の確保が重要となる。そして武器の主流が刀や槍…

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薩摩藩邸跡(二本松) その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩邸跡(二本松) その2 薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) その2 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡 薩摩藩邸跡(二本松) では幕末期の京屋敷について見て来た。江戸時代初期より京には諸藩の武家屋敷、すなわち京屋敷が設けられてきた。禁中並公家諸法度により、「一 武家之官位者、可爲公家當官之外事」と武家と…

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薩摩藩邸跡(二本松)

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩邸跡(二本松) 薩摩藩邸跡(二本松)(さつまはんていあと) 2010年1月17日訪問 薩摩藩邸跡 同志社大学今出川キャンパス西門前 烏丸通の西側にある大聖寺は一般公開を行っていないため、その境内を拝見させていただいた。烏丸通沿いに築かれた築地塀に背を向けるようにして、花乃御所の石碑が建てられている。平成7年(19…

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大聖寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大聖寺 臨済宗単立 岳松山 大聖寺(だいしょうじ) 2010年1月17日訪問 大聖寺 今出川室町の東北角に建つ足利将軍室町第址の石碑を確認した後、今出川烏丸の交差点を北に上ると左側に大聖寺の山門が現れる。もうすでに17時を回ってしまっていたので門扉を閉める準備を行っていた。大聖寺は一般に公開されていない寺院であるので取…

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足利将軍室町第址 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 足利将軍室町第址 その2 足利将軍室町第址(あしかがしょうぐんむろまちだいあと)その2 2010年1月17日訪問 足利将軍室町第址 白峯神宮 その9の南門を潜り今出川通に出る。そのまま今出川通の北側の歩道を東に進むと、室町通の東北角に足利将軍室町第址の石碑が現れる。大正4年(1915)に京都市教育会が建立した碑で、「従…

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白峯神宮 その9

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その9 白峯神宮(しらみねじんぐう)その9 2010年1月17日訪問 白峯神宮 白峯神宮 その8では、幕末維新期の白峯神宮創建に尽力した中瑞雲斎の前半生について書いてきた。この項では神宮創建後に生じた瑞雲斎に関する事件について調べてみる。 明治2年(1869)正月5日、新政府の参与・横井小楠が京都寺町通丸太町…

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白峯神宮 その8

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その8 白峯神宮(しらみねじんぐう)その8 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影 白峯神宮 その7では、幕末維新期の白峯神宮創建の経緯について「孝明天皇紀」(平安神宮 1981年刊)慶応2年(1866)11月16日の条を中心に見て来た。この項では白峯神宮創建を目指して奔走した中瑞雲斎の…

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白峯神宮 その7

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その7 白峯神宮(しらみねじんぐう)その7 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影 白峯神宮 その6では、崇徳天皇の鎮魂のために造営された崇徳院廟の所在地の特定について見て来た。この項では、幕末維新期の白峯神宮創建の経緯について調べてみる。上御霊神社 南門 崇徳上皇の怨霊鎮魂に一番熱心で…

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白峯神宮 その6

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その6 白峯神宮(しらみねじんぐう)その6 2010年1月17日訪問 白峯神宮 拝殿から本殿を望む 白峯神宮 その5では、崇徳天皇の怨霊伝説の始まりから鎮魂のための崇徳廟の造営について見て来た。この項では、応仁の乱で失われた崇徳院廟がどこに所在していたかについて考えてみる。 元暦元年(1184)4月15日に遷…

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白峯神宮 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その5 白峯神宮(しらみねじんぐう)その5 2010年1月17日訪問 白峯神宮 拝殿 白峯神宮 その4では、鳥羽法皇崩御後の崇徳天皇と保元の乱の戦場となった白河北殿と院政政治の中心となった白河街区について見て来た。この項では崇徳天皇の怨霊伝説の始まりから鎮魂のための崇徳廟の造営について調べてみる。 保元元年(…

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白峯神宮 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その4 白峯神宮(しらみねじんぐう)その4 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影 白峯神宮 その3では、では白峯神宮の最初に祭神となった崇徳天皇について、鳥羽法皇との関係を中心に近衛天皇の崩御と後白河天皇の即位まで見てきた。この項では鳥羽法皇の崩御から保元の乱までの経緯、そして崇徳上皇…

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白峯神宮 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その3 白峯神宮(しらみねじんぐう)その3 2010年1月17日訪問 白峯神宮 御由緒 白峯神宮 その2では、天武天皇以降の皇統の継承ともう一人の祭神である淳仁天皇の生涯とについて見て来た。この項では最初に祭神となった崇徳天皇について調べてみる。 白峯神宮の祭神である崇徳天皇は、保元元年(1156)7月に起き…

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白峯神宮 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 その2 白峯神宮(しらみねじんぐう)その2 2010年1月17日訪問 白峯神宮 2011年6月18日撮影 白峯神宮では、その周辺の地で起きた歴史的な事柄から白峰神宮の創建の経緯までを記した。この項では後に祭神に加えられた淳仁天皇について書いていくこととする。 先ず淳仁天皇に至る皇統を見ていく。第38代天智天皇…

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白峯神宮

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 白峯神宮 白峯神宮(しらみねじんぐう) 2010年1月17日訪問 白峯神宮 今出川通に面した鳥居と神門 上立売通から今出川通に向かい油小路通を南に下っていく途中の東側に本阿弥光悦京屋敷跡の石碑が建っている。この地にあった本阿弥家の屋敷について、本阿弥光悦京屋敷跡、その2、その3の3回に亘って、本阿弥家の成り立ちから室町…

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本阿弥光悦京屋敷跡 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 本阿弥光悦京屋敷跡 その3 本阿弥光悦京屋敷跡(ほんあみこうえつきょうやしきあと)その3 2010年1月17日訪問 本阿弥光悦京屋敷 本阿弥光悦京屋敷跡 その2では室町期の京の町の成り立ちから五山十刹の繁栄と衰退、そして京の町衆への法華宗の浸透について見てきた。この項では、応仁の乱以後の法華宗の発展と法難、そして本題で…

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本阿弥光悦京屋敷跡 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 本阿弥光悦京屋敷跡 その2 本阿弥光悦京屋敷跡(ほんあみこうえつきょうやしきあと)その2 2010年1月17日訪問 本阿弥光悦京屋敷 本阿弥光悦京屋敷跡では初代・妙本から光悦にいたる系図を参照しながら本阿弥家の成り立ちについて見てきた。この項では、室町期の京の町の成り立ちから五山十刹の繁栄と衰退、そして京の町衆に法華宗…

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本阿弥光悦京屋敷跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 本阿弥光悦京屋敷跡 本阿弥光悦京屋敷跡(ほんあみこうえつきょうやしきあと)2010年1月17日訪問 本阿弥光悦京屋敷 一部駐車場と化している報恩寺の境内を南に進むと上立売通に出る。この上立売通から油小路通に入る角に、かつての小川の痕跡を示す橋の欄干と昭和十年水害浸水被害記念碑が残されている。昭和10年(1935)6月2…

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報恩寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 報恩寺 浄土宗知恩院派 堯天山 報恩寺(ほうおんじ)2010年1月17日訪問 報恩寺 境内 泉妙院の山門越しに尾形光琳とその一族の墓を拝観した後、寺之内通を再び西に戻り小川通を南に下る。凡そ40メートルくらい歩くと、通りの西側に報恩寺の山門と石橋が現れる。新しく建てられた寺号標には“浄土宗鳴虎 報恩寺”と記されている。…

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泉妙院 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 泉妙院 その2 泉妙院(せんみょういん)その2 2010年1月17日訪問 泉妙院 緒方家墓所 2016年3月5日撮影 右側宝塔:光琳・乾山両人の供養塔 2019年最初のエントリーは、正月に相応しい国宝「紅白梅図屏風」の作者・尾形光琳になりました。  泉妙院では、尾形家の来歴から光琳が画家への道を歩み始める契機について、…

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泉妙院

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 泉妙院 泉妙院(せんみょういん)2010年1月17日訪問 泉妙院 妙顯寺の山門を出て、寺之内通を東に20メートル進むと泉妙院の山門が現れる。泉妙院は妙顯寺の多くの塔頭の中の一つである。一般に公開されていないため常に山門は閉ざされており、境内の様子を外から伺うことはできない。山門の右手には尾形光琳 尾形家一族 乾山菩提所…

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妙顯寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 妙顯寺 日蓮宗 龍華 具足山 妙顯寺(みょうけんじ)2010年1月17日訪問 妙顕寺 山門 宝鏡寺の特別公開を拝観した後、寺之内通を100メートル程度東に進むと、妙顯寺の山門が現れる。妙顯寺は日蓮宗の大本山、開基は日像である。 日像は文永6年(1269)下総国に生まれている。俗姓は平賀氏で幼名は経一丸。建治元年(127…

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宝鏡寺 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 宝鏡寺 その2 臨済宗単立 西山 宝鏡寺(ほうきょうじ)その2 2010年1月17日訪問 宝鏡寺 宝鏡寺では、鎌倉時代後期から始まった五山制度から京都尼五山の成立、そして無外如大による景愛寺の創建、そして現在に残る大聖寺と宝鏡寺が子院として景愛寺を継承してきたことで終わった。この項では、いよいよ宝鏡寺創建の歴史に入って…

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宝鏡寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 宝鏡寺 臨済宗単立 西山 宝鏡寺(ほうきょうじ)2010年1月17日訪問 宝鏡寺 山門 小川にかかる百々橋跡を西陣側に渡ると、寺之内通の北側に宝鏡寺門跡の山門が現れる。 話しを宝鏡寺の歴史に進める前に、日本における五山制度の形成と尼五山第1位の景愛寺について見て行くこととする。室町時代に京都五山と鎌倉五山が制定されたこ…

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表千家 不審菴 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 表千家 不審菴 その2 表千家 不審菴(おもてせんけ ふしんあん)その2 2010年1月17日訪問 表千家 不審菴 紀州藩より文政8年(1825)に拝領された長屋門 表千家 不審菴では、千少庵の大徳寺門前屋敷と二条屋敷に設けられた茶室について書いてきた。この項では千家再興後の少庵、宗旦による本法寺屋敷の不審菴を中心に見…

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表千家 不審菴

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 表千家 不審菴 表千家 不審菴(おもてせんけ ふしんあん)2010年1月17日訪問 表千家 不審菴 裏千家 今日庵では、千利休切腹後に家名断絶となった千家が再興し、表千家、裏千家そして武者小路千家に分かれていった経緯について記した。この項では不審菴と名付けられた茶室の変遷と表千家について書いて行く。 千宗左、千宗室、千…

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裏千家 今日庵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 裏千家 今日庵 裏千家 今日庵(うらせんけ こんにちあん)2010年1月17日訪問 裏千家 今日庵 兜門 水火天満宮のある天神公園から小川通を南に下ると最初に現れるのが裏千家である。表千家と裏千家は、この小川通の東側に並んで建っている。2008年5月に訪問した際に、表千家と裏千家を記し、両家及び武者小路を含めた三千家の…

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本法寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 本法寺 日蓮宗本山 叡昌山 本法寺(ほんぽうじ) 2010年1月17日訪問 本法寺 水火天満宮のある天神公園から、かつての小川の痕跡を求め、小川通を寺之内通まで下り、百々橋 その2、その3、その4の礎石まで来てしまった。今一度、小川通を北に裏千家の今日庵の前まで戻ると、通りの西側に本法寺の山門が現れる。この山門の前には…

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百々橋 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 百々橋 その4 百々橋(どどばし)その4 2010年1月17日訪問 小川 百々橋 その3では、応仁の乱の火種となった畠山家のお家騒動の続きを中心に、文正の政変直前の対立構造を書いてきた。ここでは政変前後の権力関係の変化から御霊合戦そして応仁の乱の初戦までを書いていく。 文正元年(1466)夏の時点で、第8代将軍・足利義…

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