京都御苑 白雲神社

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 白雲神社 京都御苑 白雲神社(きょうとぎょえん しらくもじんじゃ) 2010年1月17日訪問 京都御苑 白雲神社 京都御苑内の3つの井戸に続いて、3つの神社について記す。  京都御所の南西隅の目印、清水谷家の椋から南に下ったところに西園寺家跡がある。その南側、丁度出水通の延長線上に白雲神社が位置する。 京都御…

続きを読む

京都御苑 祐ノ井

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 祐ノ井 京都御苑 祐ノ井(きょうとぎょえん さちのい) 2010年1月17日訪問 京都御苑 祐ノ井 縣井、染殿井に続き京都御苑内三つ目の井戸として祐ノ井を訪ねる。御所の東北角の猿ヶ辻については後で紹介するとして、祐ノ井はその猿ヶ辻のさらに北東にある。木村幸比古氏監修の「もち歩き 幕末京都散歩」(人文社 201…

続きを読む

京都御苑 染殿井

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 染殿井 京都御苑 染殿井(きょうとぎょえん そめどのい) 2010年1月17日訪問 京都御苑 染殿井 縣井に続き京都御苑内に残る井戸として京都迎賓館の東側にある染殿井を取り上げる。井戸の傍らに建てられた案内板の説明は、かつてこの地にあった染殿第が中心となっている。その末尾にここにある井戸の遺構が「染殿井」と呼…

続きを読む

京都御苑 縣井

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 縣井 京都御苑 縣井(きょうとぎょえん あがたい) 2010年1月17日訪問 京都御苑 縣井 京都御所成立の歴史と御所内構六門について記してから、3か月の時が経てしまいました。2008年に京都を訪れて以来の長い休暇を、この秋に再び得ることができました。今まで訪れることができなかった場所などを巡る旅を10日分計…

続きを読む

京都御所 その7

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その7 京都御所(きょうとごしょ)その7 2010年1月17日訪問 京都御所 建礼門 京都御所 その6では、御所の九門について記した。かつては御所とともに、その周囲に並ぶ公家町を守るために設けられた門であったが、明治に入り公家町が取り壊された後は京都御苑の門となった。そのためか、かつては御所の近くに設けられた…

続きを読む

京都御所 その6

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その6 京都御所(きょうとごしょ)その6 2010年1月17日訪問 京都御所 今出川御門 京都御所 その3、その4、そして その5を使って、平安京の内裏から幕末の御所までの変遷を書いてきた。御所の領域の拡大に伴い、仙洞御所あるいは女院御所の位置に影響を与え、御所を取り巻く公家町にも当然のことながら大きな変化を…

続きを読む

京都御所 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その5 京都御所(きょうとごしょ)その5 2010年1月17日訪問 京都御所 建礼門 京都御所 その4では、徳川幕府による慶長度造営から6回目となる宝永度造営までを記した。最初の慶長・元和度造営から2回目の寛永度造営までは、後水尾院と徳川幕府の間の政治的な駆け引きの中で行われた造営と考えてもよいだろう。この時…

続きを読む

京都御所 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その4 京都御所(きょうとごしょ)その4 2010年1月17日訪問 京都御所 南西隅 京都御所 その3では、延暦13年(794)の平安京造営時の内裏から、安土桃山時代の内裏までの変遷について見てきた。内裏が火災などで焼失した際には、大内裏の官衙、京中の後院そして公家邸宅を仮御所として利用している。内裏は天徳4…

続きを読む

京都御所 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その3 京都御所(きょうとごしょ)その3 2010年1月17日訪問 京都御所 建礼門 本日は京都の中心である京都御所の周辺を歩くこととする。今回の訪問予定に京都御所や仙洞御所の拝観を含んでいないので、なるべく多くの時間をかけて京都御苑内を見ていきたい。特に幕末の堺町門の変すなわち八月十八日の政変と甲子戦争(禁…

続きを読む

嵯峨野の町並み その9

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨野の町並み その9 嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その9 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 落柿舎 貞和3年(1347)に夢窓疎石が裏書したことにより、「大井郷界畔絵図」は天龍寺と臨川寺が対立することなく、臨川寺領を維持できるようにその寺領を朱線で囲んで示したことが分かる…

続きを読む

嵯峨野の町並み その8

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨野の町並み その8 嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その8 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 常寂光寺 嵯峨野の町並み その6では、平安時代初期の嵯峨野の開発と嵯峨院などの建立の経過について、そして葛野郡、乙訓郡、紀伊郡、愛宕郡の4郡の条里プランについて考えてきた。さらに、…

続きを読む

嵯峨野の町並み その7

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨野の町並み その7 嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その7 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 嵐山花灯路2009 大沢池 長岡京から平安京に遷都が決まると、4郡の条里プランの上に新たな40丈=400尺単位の条坊が作られることとなった。平城京の条坊が180丈と大きかったのに対して平安京では40丈…

続きを読む

嵯峨野の町並み その6

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨野の町並み その6 嵯峨野の町並み(さがのまちなみ)その6 2009年12月20日訪問 2009年12月20日訪問 大悲閣千光寺からの眺望 二尊院 時雨亭跡からの眺めは、残念ながら木々が密生しているためあまり良いものではなかった。恐らく展望台として整備していないためであろうが、そのような整備を行われずに今のままの姿…

続きを読む

二尊院 時雨亭跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 二尊院 時雨亭跡 天台宗 小倉山 二尊院 時雨亭跡(にそんいん しぐれていあと) 2009年12月20日訪問 二尊院 時雨亭跡 二尊院の本堂の西側の斜面に墓地が広がる。この広い墓地の中で迷わないように、湛空上人廟の前に道標が建てられている。北側は角倉家墓地と三帝の塔、そして南側に進むと時雨亭跡に至る。この道標に従い、湛…

続きを読む

二尊院 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 二尊院 その2 天台宗 小倉山 二尊院(にそんいん)その2 2009年12月20日訪問 二尊院 角倉家墓地 二尊院では、嵯峨天皇による創建から法然と九条家そして法然の弟子達による再興、そして応仁の乱の後の広明恵教と三条西実隆父子による再興について書いてきた。特に江戸時代に入ると、徳川家による寄進だけではなく、嵯峨の豪商…

続きを読む

二尊院

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 二尊院 天台宗 小倉山 二尊院(にそんいん) 2009年12月20日訪問 二尊院 落柿舎を出て、再び愛宕街道に戻り、北に向かって歩く。有智子内親王墓そして去来墓、西行井戸のある弘源寺墓地を過ぎると、二尊院の総門が現れる。二尊院 紅葉の馬場から石段を眺める二尊院 天台宗の寺院・二尊院の山号は小倉山。正式な名称は二尊教院華…

続きを読む

落柿舎 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 落柿舎 その3 落柿舎(らくししゃ)その3 2009年12月20日訪問 落柿舎 落柿舎 その2では、去来の落柿舎購入から芭蕉の三度の訪問について書いてきた。ここではその後の落柿舎について触れてみる。 向井去来は名を兼時、号を元淵と云う。去来は別号である。父の元升は肥前国長崎の儒者で、慶安4年(1651)次男として生まれ…

続きを読む

落柿舎 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 落柿舎 その2 落柿舎(らくししゃ)その2 2009年12月20日訪問 落柿舎 有智子内親王墓の東隣に落柿舎がある。昨年訪れた時は素屋根が架けられ、敷地内に入ることも出来なかった。今年は工事も完了し拝観できる状況になっている。 落柿舎は、松尾芭蕉の弟子である向井去来の別荘として使用されていた草庵で、その名の謂れについて…

続きを読む

有智子内親王墓 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 有智子内親王墓 その2 有智子内親王墓(うちこないしんのうのはか)その2 2009年12月20日訪問 有智子内親王墓 常寂光寺の山門を出て東へ道を進むと、100メートル足らずで視界が開ける。角には三宅安兵衛遺志の小倉山・常寂光寺・歌仙祠の碑が建つ。この石碑は愛宕街道に建ち、常寂光寺への曲がり角を示すためのものである。北…

続きを読む

常寂光寺 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 常寂光寺 その3 日蓮宗 小倉山 常寂光寺(じょうじゃくこうじ)その3 2009年12月20日訪問 常寂光寺 歌遷祠 常寂光寺の仁王門の北側に小倉百人一首編纂の地という小さな石碑が建っている。南面には上記の文字が見え、西面には藤原定家卿山荘址とある。常寂光寺 その2で触れたように、常寂光寺開山時に創建以前よりあった小祠…

続きを読む

常寂光寺 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 常寂光寺 その2 日蓮宗 小倉山 常寂光寺(じょうじゃくこうじ)その2 2009年12月20日訪問 常寂光寺 多宝塔と比叡山 常寂光寺に引き続き、公式HPの寺歴に従うと、慶長年間(1596~1615)に小早川秀秋の助力を得て桃山城客殿を移築し本堂としたとある。これは第二世通明院日韶上人の代のことであり、この桃山城とは伏…

続きを読む

常寂光寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 常寂光寺 日蓮宗 小倉山 常寂光寺(じょうじゃくこうじ) 2009年12月20日訪問 常寂光寺 山門 小倉池の北端から80メートル位北に歩くと常寂光寺の山門が現れる。  常寂光寺は日蓮宗の寺院で、山号は小倉山。元々、この地には天龍寺の弘源寺があった。弘源寺は永享元年(1429)室町幕府の管領であった細川右京太夫持之が、…

続きを読む

御髪神社

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 御髪神社 御髪神社(みかみじんじゃ) 2009年12月20日訪問 御髪神社 大河内山荘から北に向かって進む。JR西日本山陰本線のトンネル上を越え、トロッコ嵐山駅に出るところで道が分岐する。左手に小倉池が広がる。既に3時近くになり日が傾き、池面に山の影が落ち始めていた。人出はあるもののなんとなく薄寒い感じのする場所である…

続きを読む

大河内山荘

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大河内山荘 大河内山荘(おおこうちさんそう) 2009年12月20日訪問 大河内山荘 大乗閣と京の眺め 既に嵯峨野の町並み その5でも記述したように嵯峨野の竹林の中で西と北に分岐する箇所には、檀林寺旧跡・前中書王遺跡の三宅安兵衛遺志の石碑が建てられている。ここより北側に入ると野宮神社の黒木鳥居がある。再び分岐点まで戻り…

続きを読む

京都・山城 寺院神社大事典

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都・山城 寺院神社大事典 京都・山城 寺院神社大事典(きょうと・やましろ じいいんじんじゃだいじてん) 京都・山城 寺院神社大事典 ゴールデンウィークの課題として、日頃お世話になっている「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社 1997年刊)について書いてみる。今では京都の寺院や神社の謂れを調べる上で欠かすことの出来な…

続きを読む

野宮神社 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 野宮神社 その2 野宮神社(ののみやじんじゃ)その2 2009年12月20日訪問 野宮神社 嵯峨野の竹林の中で西と北に分岐する箇所には、檀林寺旧跡・前中書王遺跡の三宅安兵衛遺志の石碑が建てられていることは、既に嵯峨野の町並み その5で記述した。この分岐点の北側には野宮神社の黒木鳥居がある。この道は三宅安兵衛遺志の道標に…

続きを読む

嵯峨野の町並み その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 嵯峨野の町並み その5 嵯峨野の町並み(さがののまちなみ)その5 2009年12月20日訪問 嵯峨野の町並み 三宅安兵衛遺志の道標 豆腐茶屋の看板の方が大きい 千光寺の石段を下り、大堰川沿いを再び櫟谷宗像神社まで戻る。 渡月橋を渡り嵯峨野に入る。嵯峨野については、嵯峨野の町並み、その2、その3、その4と書いてきたので、…

続きを読む

大悲閣千光寺 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大悲閣千光寺 その2 黄檗宗 嵐山 大悲閣千光寺(だいひかくせんこうじ)その2 2009年12月20日訪問 大悲閣千光寺 了以像 大悲閣千光寺では、その位置と角倉了以よる中興までの歴史について記した。ここでは了以が大悲閣千光寺を創建することとなった河川開削事業について書いてみる。大悲閣千光寺 大悲閣大悲閣千光寺 大悲閣…

続きを読む

大悲閣千光寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大悲閣千光寺 黄檗宗 嵐山 大悲閣千光寺(だいひかくせんこうじ) 2009年12月20日訪問 大悲閣千光寺 大河内山荘からの眺め 渡月橋より大堰川右岸の大悲閣道を凡そ1キロメートル上流に歩くと、大悲閣千光寺へと続く石段が現れる。この石段の始まる左手には、松尾芭蕉の「花の山 二町のぼれば 大悲閣」句碑と称するものがある。…

続きを読む

大堰川

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大堰川 大堰川(おおいがわ) 2009年12月20日訪問 大堰川 櫟谷宗像神社を出て、大悲閣を訪問するため大堰川の右岸を上流に向かって歩いて行く。この道は自動車の通行も無く、ほぼ歩行者のための道となっている。大堰川 渡月橋を眺める大堰川 既に嵐山の町並みで大堰川と秦氏による開発、渡月橋でも大堰川あるいは大井川について、…

続きを読む

櫟谷宗像神社

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 櫟谷宗像神社 櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ) 2009年12月20日訪問 櫟谷宗像神社 梅宮大社の石造の一之鳥居を潜り、四条通に戻る。梅宮大社前の停留所より京都市バス28系統大覚寺行に乗車する。バスは松尾橋で大堰川を渡り、阪急嵐山線松尾駅で右折し京都府道29号宇多野嵐山山田線に入る。そのまま北上し、法輪寺の門…

続きを読む

梅宮大社 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梅宮大社 その2 梅宮大社(うめみやたいしゃ)その2 2009年12月20日訪問 梅宮大社 東神苑の池中亭 梅宮大社で記したように、梅宮大社の公式HPに掲載されている御由緒でも、檀林皇后が橘氏の祖神を祀るためにこの地に遷座させたとしている。しかしその創建の年代は明らかにしていない。「伊呂波字類抄」(風間書房 1965年…

続きを読む

梅宮大社

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梅宮大社 梅宮大社(うめみやたいしゃ) 2009年12月20日訪問 梅宮大社 楼門 梅宮大社は西梅津村が東梅津村に接する辺りにある。「延喜式」神名帳の葛野郡二十座の内、「梅宮坐神 並名大。月次 新嘗」とあり、酒解神、大若子神、小若子神、酒解子神の四神を祀る。相殿の祭神は橘諸兄の孫の橘清友、その子の嘉智子すなわち嵯峨天皇…

続きを読む

梅津の町並み

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梅津の町並み 梅津の町並み(うめづのまちなみ) 2009年12月20日訪問 梅津の町並み 四条通から松尾山を眺める 華厳寺から再び西芳寺川を渡り、地蔵院の石段へと戻る。ここからタクシーで次の訪問地・梅宮大社に向かう。車は東に走り、松尾の交差点で北に折れる。そのまま直進し物集女街道に入り、松尾大社と阪急嵐山線の松尾駅を過…

続きを読む

華厳寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 華厳寺 臨済宗永源寺派 妙徳山 華厳寺(けごんじ) 2009年12月20日訪問 華厳寺 衣笠山にある地蔵堂から再び華厳寺橋で西芳寺川を渡り、松尾山側に戻る。先ほど通過した華厳寺を訪問する。山門へと続く石段の右手には「鈴蟲の寺 華厳禅寺」の寺号標石がある。現在は臨済宗永源寺派の寺院で山号を妙徳山とする。 華厳寺の開山は江…

続きを読む

地蔵院 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 地蔵院 その2 臨済宗系単立 衣笠山 地蔵院(じぞういん)その2 2009年12月20日訪問 地蔵院 碧潭周皎と細川頼之の墓 地蔵院では、開山の碧潭周皎とこの地を買い取り地蔵院を建立した細川頼之について書いてみた。明徳3年(1392)頼之が64歳で没すると、その遺志よって周皎の墓の傍らに葬られ、将軍義満を始めとし、公卿…

続きを読む

地蔵院

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 地蔵院 臨済宗系単立 衣笠山 地蔵院(じぞういん) 2009年12月20日訪問 地蔵院 総門 西芳寺総門と西芳寺川に架かる大歇橋から再び池大雅美術館の近くの駐車場に戻る。先ほど歩いてきた華厳寺橋とは逆方向となる南側の石段を上る。この石段の脇には、「細川頼之公建立 一休禅師修養の寺 竹の寺 地蔵院庭園」という盛り沢山な道…

続きを読む

西芳寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 西芳寺 臨済宗系単立 洪隠山 西芳寺(さいほうじ) 2009年12月20日訪問 西芳寺 邀月橋と衆妙門 池大雅美術館より30メートル西に進むと西芳寺川に架かる橋と共に西芳寺の総門が現れる。今回は事前の拝観申請を出していないため、西芳寺の佇まいを眺めるだけとなる。天下の名園だけに、ゆっくり時間のとれる時に改めて訪問したい…

続きを読む

池大雅美術館 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 池大雅美術館 その2 池大雅美術館(いけのたいがびじゅつかん)その2 2009年12月20日訪問 池大雅美術館 池大雅美術館で記したように、池大雅の未亡人・玉瀾が没した天明4年(1784)に、大雅の門弟達が集まって大雅堂を東山の真葛ヶ原に建設している。その後、大雅堂は餘凪夜、月峰、清亮、定亮等によって護られてきた。しか…

続きを読む

池大雅美術館

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 池大雅美術館 池大雅美術館(いけのたいがびじゅつかん) 2009年12月20日訪問 池大雅美術館 最福寺からの道 最福寺跡から、山端の細い道を進むと妙徳山華厳寺、いわゆる鈴虫寺への入口が現れる。ここは後回しとして、先ずは西芳寺に向かう。右手に「老人園芸ひろば」という看板がある。更に進むと西芳寺川に架かる橋に出会う。この…

続きを読む

最福寺跡 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 最福寺跡 その2 最福寺跡(さいふくじあと)その2 2009年12月20日訪問 最福寺跡 平治元弘応仁元亀の乱 戦火ゆかりの地 最福寺は延朗の死後、伽藍を整備し、南北朝期には峰ヶ堂(現在の西京区御陵峰ヶ堂)にあった法華山寺とともに西岡屈指の大名刹となっている。「太平記」巻八の「谷の堂炎上の事」には、延朗の出自から最福寺…

続きを読む

最福寺跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 最福寺跡 最福寺跡(さいふくじあと) 2009年12月20日訪問 最福寺跡 月読神社とその鳥居の右手にある押見宿祢霊社遺跡碑の前から、浄土宗西山禅林寺派 帰峰山 西光寺に出る。同じ浄土宗でも右京区太秦多藪町の来迎山 西光寺は嘉禄の法難で有名である。光明寺の項で、来迎坊圓空と太秦の西光寺に少しふれているので興味のある方は…

続きを読む

押見宿祢霊社遺跡碑

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 押見宿祢霊社遺跡碑 押見宿祢霊社遺跡碑(おしみのすくねれいしゃいせきひ) 2009年12月20日訪問 押見宿祢霊社遺跡碑 月読神社の鳥居の右手に押見宿祢霊社遺跡碑が建つ。碑にも記されているように、昭和42年(1967)10月に松室同族会によって建立されている。碑文には、顕宗天皇3年(487)に歌荒樔田に月読社が創祀され…

続きを読む

月読神社

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 月読神社 月読神社(つきよみじんじゃ) 2009年12月20日訪問 月読神社 阪急電鉄松尾駅を下車し、松尾の町並みを眺めながら、松尾大社の二の鳥居まで進む。前回の2009年12月20日の訪問で時間をかけて松風苑まで拝観したので、今回は鳥居の外からの御参りを済まし、先を急ぐこととする。二の鳥居前を左に曲り、府道29号宇多…

続きを読む

京都の神社巡り その6

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の神社巡り その6 京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり)その6 京都の神社巡り 大原野神社山城国乙訓郡 十九座 15 簀原神社          祭 神: 不明          社 格: 不明          所 在: 不明  「山城志」では、在所未レ詳 「山城名跡巡行志」(「京都叢書 第10巻 山城名跡…

続きを読む

京都の神社巡り その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の神社巡り その5 京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり)その5 京都の神社巡り 大歳神社山城国乙訓郡 十九座  7 御谷神社          祭 神: 天津児屋根命 別雷神 倉稲魂神               応神天皇          社 格: 旧村社          所 在: 長岡京市浄土谷宮ノ谷3…

続きを読む

京都の神社巡り その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の神社巡り その4 京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり)その4 京都の神社巡り 大井神社 大歳神社社前にある由来 宮中神三十六座と京中坐神三座に引き続き、山城国一二二座の内、乙訓郡十九座、葛野郡二十座、愛宕郡二十一座、紀伊郡八座、宇治郡十座の七十八座の中で訪問した式内社を中心に書いて行く。また、久世郡二十四座…

続きを読む

京都の神社巡り その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の神社巡り その3 京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり)その3 京都の神社巡り 隼神社 社格の変遷について、京都の神社巡りと、その2を通じて記してきた。ここでは、延喜式神名帳に掲載されている式内社の内、現在の京都市に近い部分を中心に書いてみる。 宮中神三十六座は以下のとおりである。      神祇官西院坐御巫…

続きを読む

京都の神社巡り その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の神社巡り その2 京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり)その2 京都の神社巡り 八坂神社 神社の社格について書いて行く。  律令制における国司は任国内の諸社に神拝することが定められており、諸国の一宮の起源ともされている。これは上記の二十二社制が、中央における祭祀体制であるのに対して、地方での祭祀体制として作ら…

続きを読む

京都の神社巡り

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の神社巡り 京都の神社巡り(きょうとのじんじゃめぐり) 京都の神社巡り 伏見大社稲荷 昨年の正月には、京都の名庭巡りということで、京の庭園のランキングを作成した。(京都の名庭巡り その1 その2 その3 その4 その5の1 その5の2 その6をご参照下さい)そこで今年最初の記事として、京都の神社巡りについて書いてみ…

続きを読む