慶光天皇廬山寺陵 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その3 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その3 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺 南北に長く複数の墓石が配置されている 慶光天皇廬山寺陵 その2では、元々病弱であった後桃園天皇の急逝、安永8年(1779)11月25日の光格天皇即位から始め、天明7年(1787)6月7日より発…

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京都の地図 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都の地図 その4 京都の地図(きょうとのちず)その4 2016年8月18日登録 京都の地図 2016年3月の旅行に使用した地図 全体図ではマーカーの位置も分からない 設定変更について その4でも少し触れたが、2016年3月の撮影旅行の際に持参した地図は、その前の2014年10月に作成した三階層構造のpdfファイルとは…

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設定変更について その7

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 設定変更について その7 設定変更について(せっていへんこうについて)その7 2016年8月17日登録 設定変更について Olympus社製 E-PL6 2015年秋よりサブカメラに加わりました 設定変更について その6では、ファイル名称及びディレクトリ構成についての変更を書いた。この項ではデータベース部分の改造と「徘…

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設定変更について その6

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 設定変更について その6 設定変更について(せっていへんこうについて)その6 2016年8月17日登録 設定変更について Nikon社製 D7000 現在のメインカメラ 設定変更について その5では、情報の一元化を図るために今まで作成してきたデータベースを壊し、必要な情報のみを残して新しいデータベースを作成することの背…

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設定変更について その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 設定変更について その5 設定変更について(せっていへんこうについて)その5 2016年8月17日登録 設定変更について Trip Recorder 747Pro 既に販売終了しているようだ またまた、3ヶ月ぶりの更新となってしまいました。前回の最後が2016年5月29日の慶光天皇廬山寺陵 その2でしたので、本当に長い…

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慶光天皇廬山寺陵 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その2 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その2 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺陵 慶光天皇廬山寺陵では、桃園天皇から光格天皇に至る江戸時代中期の朝廷の様子を中心に幕府の衰退の兆しにも触れてきた。この項では光格天皇によって行われた朝儀の再興、朝権の回復について書いて行く。 …

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慶光天皇廬山寺陵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう) 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺陵 薬医門の右脇に大阪皇陵巡拝会が建立した慶光天皇廬山寺陵への道標が残されているように、廬山寺の境内には慶光天皇の陵墓が築かれている。慶光天皇とは京都御苑 閑院宮邸 その2でも記したように閑院宮第2代典仁親王…

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廬山寺墓地

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 廬山寺墓地 廬山寺墓地(ろざんじぼち) 2010年1月17日訪問 廬山寺墓地 廬山寺 その2でも触れたように、2008年5月13日に廬山寺を拝観した際には廬山寺陵の存在を知らなかった。そのため御土居を訪れることもなかった。その後、陵墓に関係するHPや文献を調べて見逃していたことに気が付き、今回の訪問では予定に繰み込んだ…

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廬山寺 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 廬山寺 その2 天台系圓浄宗本山日本廬山 廬山寺(ろざんじ)その2 2010年1月17日訪問 廬山寺 山門 正面に大師堂 寺町通を挟んで梨木神社の東側に廬山寺の山門が見える。前回2008年5月13日は、仙洞御所と京都御所の拝観前の時間を利用して、廬山寺の「源氏庭」と呼ばれる庭園を鑑賞させて頂いた。今回は本堂には上がらず…

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梨木神社 その7

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梨木神社 その7 梨木神社(なしきじんじゃ)その7 2010年1月17日訪問 梨木神社 神門より二の鳥居を望む 梨木神社 その6は京都を舞台とした一橋派の裏面活動の前半である。これを表側の交渉と合わせてみると何を目的にしていたかが明らかになってくる。 正月17日に、主上は関白・九条尚忠に対して宸翰(「孝明天皇紀 第二」…

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梨木神社 その6

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梨木神社 その6 梨木神社(なしきじんじゃ)その6 2010年1月17日訪問 梨木神社 本殿 梨木神社 その5でも触れたように、安政4年(1857)12月8日、幕府は朝廷に対して外交事情を奏聞するため林大学頭復斎と目付の津田正路へ上京を命じている。これは日米和親条約から新条約締結への交渉経緯とハリスによって齎された重大…

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梨木神社 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梨木神社 その5 梨木神社(なしのきじんじゃ)その5 2010年1月17日訪問 梨木神社 本殿 梨木神社 その4では、天璋院篤姫入輿後の経過と政情の変化について記した。安政4年(1857)の年末、遂に島津斉彬の命を受けた西郷吉之助が橋本左内を訪ねている。この項では橋本左内の江戸における運動の展開について記す。 安政4年…

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梨木神社 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梨木神社 その4 梨木神社(なしのきじんじゃ)その4 2010年1月17日訪問 梨木神社 拝殿 梨木神社 その3では、関が原の戦い以降の徳川家と島津家との関係から島津家からの将軍入輿までの説明で終わってしまった。このまま天璋院篤姫が選ばれた経緯から実の父である島津忠剛の死去、御所の炎上そして安政大地震の発生による繰延べ…

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梨木神社 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梨木神社 その3 梨木神社(なしのきじんじゃ)その3 2010年1月17日訪問 梨木神社 神門 梨木神社 その2では、三条実萬、実美父子の事蹟を書いて行く上で参考とすべき史料から始め、安政の大獄の契機となった継嗣問題について書いてきた。この中で、天璋院入輿と将軍継嗣問題の関係について、「どちらが後か先かは判別が難しい」…

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梨木神社 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 梨木神社 その2 梨木神社(なしのきじんじゃ)その2 2010年1月17日訪問 梨木神社 一の鳥居から二の鳥居を眺める 今はこの光景を見ることができない 大久保利通旧邸でも少し触れたが、昨年末に今まで撮影してきた全ての画像データとブログを書くために参考にした文献のスキャニングデータを格納していた外付ハードディスクが破損…

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大久保利通旧邸 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大久保利通旧邸 その3 大久保利通旧邸(おおくぼとしみちきゅうてい)その3 2010年1月17日訪問 大久保利通旧邸 中央に石薬師中筋が見える 西郷の寓居もこのあたりにあったと思われる 大久保利通旧邸 その2では大久保利通が小松帯刀より御花畑邸にあった茶室を譲り受けて、石薬師邸の南庭に移設したところまでを書いてきた。こ…

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大久保利通旧邸 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大久保利通旧邸 その2 大久保利通旧邸(おおくぼとしみちきゅうてい)その2 2010年1月17日訪問 大久保利通旧邸 京都市教育会が昭和2年(1927)に建立した石碑 大久保利通旧邸では、大久保利通の幕末維新時の行動を時系列に見て来た。最初の上京が文久2年(1862)1月13日であり、明治元年(1868)9月20日に行…

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大久保利通旧邸

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大久保利通旧邸 大久保利通旧邸(おおくぼとしみちきゅうてい) 2010年1月17日訪問 大久保利通旧邸 右端に寺町通が見える 個人的な話で恐縮ですが、先日PCのハードディスクを壊し画像データを含む全てのデータを一時的に失いました。定期的なバックアップを行っていたので、幸いなことに一応は元の状態に復旧することができました…

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京都御所 その13

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その13 京都御所(きょうとごしょ)その13 2010年1月17日訪問 京都御所 清涼殿 2014年10月8日撮影 京都御所 その12では長州と因州そして有栖川宮家との関係を見てきた。因州鳥取藩と有栖川宮家の関係は、水戸藩と有栖川宮家の縁戚関係が基となっている。つまり徳川斉昭の五男・慶徳が池田家の養子となった…

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京都御所 その12

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その12 京都御所(きょうとごしょ)その12 2010年1月17日訪問 京都御所 清涼殿 2014年10月8日撮影 京都御所 その10とその11で7月17日から18日掛けての幕府側と長州の交渉が決裂するまでを見てきた。特に一橋慶喜としては都合7回にわたる説諭も功を奏さず、ついに開戦を迎える。この項では長州と因…

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京都御所 その11

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その11 京都御所(きょうとごしょ)その11 2010年1月17日訪問 京都御所 諸大夫の間 2014年10月8日撮影 京都御所 その10は7月18日までの大まかな長州の進発に至る経緯である。繰り返しにはなるが、桂小五郎は八月十八日の政変以降、京摂に残り政情分析を続けてきた。しかし文久3年(1863)10月3…

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京都御所 その10

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その10 京都御所(きょうとごしょ)その10 2010年1月17日訪問 京都御所 承明門より紫宸殿を臨む 2014年10月8日撮影 京都御所 その8と、その9で、禁裏御守衛総督である一橋慶喜を中心に守衛側の行動について書いてきた。この項より、福原越後軍、国司信濃軍そして真木・久坂軍以外の長州藩と長州支援の諸藩…

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京都御所 その9

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その9 京都御所(きょうとごしょ)その9 2010年1月17日訪問 京都御所 常御殿 2008年5月13日撮影 京都御所 その8では、禁裏御守衛総督である一橋慶喜に、伏見、山崎に屯集する長州兵への対応が任された後の交渉から元治元年(1864)7月18日深夜の参内、そして共に病にあった松平容保と松平定敬の三大ま…

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京都御所 その8

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御所 その8 京都御所(きょうとごしょ)その8 2010年1月17日訪問 京都御所 建春門の内側 松平容保は左側の穴門から参内 2008年5月13日撮影 京都御苑 鷹司邸跡 その3の真木・久坂軍の山崎への撤退、そして その4 における久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一の死を以って、長州藩が引き起こした甲子戦争は一応の終…

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京都御苑 鷹司邸跡 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 鷹司邸跡 その4 京都御苑 鷹司邸跡(きょうとぎょえん たかつかさていあと)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 鷹司邸跡 京都御苑 鷹司邸跡 その2 と その3 では、真木・久坂軍の堺町御門での戦闘とその撤退状況について書いてみた。この項では久坂玄瑞、寺島忠三郎そして入江九一の最期について記す。 中原…

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京都御苑 鷹司邸跡 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 鷹司邸跡 その3 京都御苑 鷹司邸跡(きょうとぎょえん たかつかさていあと)その3 2010年1月17日訪問 京都御苑 鷹司邸跡 堺町御門での戦闘を決したのは、やはり火力であった。山川浩の「京都守護職始末」(「東洋文庫 京都守護職始末-旧会津藩老臣の手記」(平凡社 1965年刊))には下記の様に記している。 …

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京都御苑 鷹司邸跡 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 鷹司邸跡 その2 京都御苑 鷹司邸跡(きょうとぎょえん たかつかさていあと)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 鷹司邸跡 京都御苑 鷹司邸跡では、真木・久坂軍の進撃経路について推定した。この項では堺町御門での戦闘状況と山崎への撤退について記して行く。 山崎の軍の大将は家老の益田右衛門介であったが、進軍…

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京都御苑 鷹司邸跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 鷹司邸跡 京都御苑 鷹司邸跡(きょうとぎょえん たかつかさていあと)2010年1月17日訪問 京都御苑 堺町御門 門内から堺町通を眺める 真木・久坂軍が進行した柳馬場通は一本東側 京都御苑 清水谷家の椋 その4では、来嶋又兵衛の蛤御門内での奮戦とその最期を見てきた。闘将来嶋の討死により、国司軍は崩れ落ちて行っ…

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京都御苑 清水谷家の椋 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 清水谷家の椋 その4 京都御苑 清水谷家の椋(きょうとぎょえん しみずだにけのむく)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 清水谷家の椋 2014年10月8日撮影 京都御苑 清水谷家の椋 その3では、公家門前の戦いに薩摩藩が参戦したことにより形勢が一変し、御所内から長州兵を追い出した上で、圧倒的な火力を以…

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京都御苑 清水谷家の椋 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 清水谷家の椋 その3 京都御苑 清水谷家の椋(きょうとぎょえん しみずだにけのむく)その3 2010年1月17日訪問 京都御苑 清水谷家の椋 京都御苑 清水谷家の椋 その2で記したように、北から公家門の支援に駆け付けたのは乾御門の守衛についていた薩摩兵であった。この模様は桑名藩の加太邦憲が「維新史料編纂会講演…

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京都御苑 清水谷家の椋 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 清水谷家の椋 その2 京都御苑 清水谷家の椋(きょうとぎょえん しみずだにけのむく)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 清水谷家の椋 駒札 京都御苑 清水谷家の椋では、清水谷家がこの地に移った時期の推定と椋の木の位置に付いて考えてみた。清水谷家が賀陽宮邸跡から御所の築地南西角に引っ越してきたのは、およ…

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京都御苑 清水谷家の椋

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 清水谷家の椋 京都御苑 清水谷家の椋(きょうとぎょえん しみずだにけのむく) 2010年1月17日訪問 京都御苑 清水谷家の椋 京都御苑 蛤御門で来嶋隊の築地内闖入までを見てきた。この清水谷家の椋の項では守衛側の反撃から国司軍の崩壊までを追って行く。国司軍の攻撃箇所 地図:京都 1889年製 現在、蛤御門より…

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京都御苑 蛤御門

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 蛤御門 京都御苑 蛤御門(きょうとぎょえん はまぐりごもん) 2010年1月17日訪問 京都御苑 蛤御門 京都御苑 下立売御門と その2を使って、国司隊と児玉隊の戦闘を見てきた。中立売御門を攻めた国司隊については、山川浩の「京都守護職始末」(東洋文庫 「京都守護職始末 2 旧会津藩老臣の手記」(平凡社 196…

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京都御苑 下立売御門 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 下立売御門 その2 京都御苑 下立売御門(きょうとぎょえん しもだちうりごもん)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 下立売御門 京都御苑 下立売御門で「京都守護職始末」の一文を引用したが、その中に出てくる「新在家の砲声」を明らかにするため、次に下立売門周辺での戦闘状況に目を移す。「元治夢物語」では長州…

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京都御苑 下立売御門

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 下立売御門 京都御苑 下立売御門(きょうとぎょえん しもだちうりごもん) 2010年1月17日訪問 京都御苑 下立売御門 京都御苑 中立売御門で書いたように、元治元年7月19日丑の刻(午前2時頃)に陣触れが出され、国司軍は1時間後の午前3時頃から進軍を開始したと考えられている。どの道を使用して洛中に入ったかは…

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京都御苑 中立売御門

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 中立売御門 京都御苑 中立売御門(きょうとぎょえん なかだちうりごもん) 2010年1月17日訪問 京都御苑 中立売御門 京都御苑 凝華洞跡 その5では朝議が長州藩討伐に決するまでの過程と甲子戦争の開戦となった福原越後軍の伏見街道での交戦状況を見てきた。福原軍は長州藩正規兵が主力であるため、開戦前から戦闘能力…

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京都御苑 凝華洞跡 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 凝華洞跡 その5 京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと)その5 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡 2014年10月8日撮影 京都御苑 凝華洞跡 その4では甲子戦争前夜の薩摩藩の動向について見て来た。既に薩摩にとって幕府の存在は無きも同然であり、朝廷を守護することこそが大義であり行…

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京都御苑 凝華洞跡 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 凝華洞跡 その4 京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡 建礼門側からの眺め 京都御苑 凝華洞跡 その3では元治元年(1864)7月17日までの緊迫した状況を書いてきた。この項では薩摩藩の動向について見て行く。 朝廷内の動きは既に書いてきた…

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京都御苑 凝華洞跡 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 凝華洞跡 その3 京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと)その3 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡の駒札 京都御苑 凝華洞跡 その2では元治元年(1864)春から福原、国司、益田三家老の出陣までを書いてきた。この項では甲子戦争の開戦に至る経緯を見ていく。 長州藩の世論が進発へ傾いて…

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京都御苑 凝華洞跡 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 凝華洞跡 その2 京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡 京都御苑 凝華洞跡では、文久3年(1863)の八月十八日の政変以降の政治体制の変化と長州藩の活動、特に雪冤運動について見て行った。時間軸では文久3年8月から元治元年(1864)3月頃…

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京都御苑 凝華洞跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 凝華洞跡 京都御苑 凝華洞跡(きょうとぎょえん ぎょうかどうあと) 2010年1月17日訪問 京都御苑 凝華洞跡 京都御苑 猿ヶ辻から京都御苑 堺町御門 その5までを使い文久2年(1862)後半から文久3年(1863)の八月十八日の政変までを見てきた。政変直前には、急進派公家が尊攘派浪士の勢いを借り朝廷政治を…

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京都御苑 堺町御門 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 その5 京都御苑 堺町御門(きょうとぎょえん さかいまちごもん)その5 2010年1月17日訪問 京都御苑 堺町御門 内裏圖1889年製 より国際日本文化研究センター 京都御苑 堺町御門 その3では、文久2年(1862)12月9日に制定された国事御用掛と翌文久3年(1863)2月13日の国事参政と国…

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京都御苑 堺町御門 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 その4 京都御苑 堺町御門(きょうとぎょえん さかいまちごもん)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 堺町御門 葵祭 2008年5月15日撮影 京都御苑 堺町御門 その2でも触れたように、真木和泉の入京が6月8日で、同月16日に東山の翠紅館で行われた会で、「五事献策」の基となる考えを披露したと…

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京都御苑 堺町御門 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 その3 京都御苑 堺町御門(きょうとぎょえん さかいまちごもん)その3 2010年1月17日訪問 京都御苑 堺町御門から堺町通を眺める 京都御苑 猿ヶ辻から その2、その3 そして その4までを使い、文久3年(1853)5月20日に発生した姉小路暗殺事件とその捜査の推移について書いてきた。この事件を…

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京都御苑 堺町御門 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 その2 京都御苑 堺町御門(きょうとぎょえん さかいまちごもん)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 堺町御門の駒札 京都御苑 堺町御門では、姉小路卿殺害から文久3年6月末までの薩摩藩の情勢と中川…

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京都御苑 堺町御門

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 堺町御門 その2 京都御苑 堺町御門(きょうとぎょえん さかいまちごもん)その2 2010年1月17日訪問 京都御苑 堺町御門 堺町御門はかつての公家町を守る九門のひとつで、現在の京都御苑の南側、丸太町通に面して…

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京都御苑 猿ヶ辻 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都御苑 猿ヶ辻 その4 京都御苑 猿ヶ辻(きょうとぎょえん さるがつじ)その4 2010年1月17日訪問 京都御苑 猿ヶ辻 京都御苑 猿ヶ辻 その3の最後で触れたように、6月11日に薩摩藩士の九門出入が自由となっている。町田明広氏は「島津久光=幕末政治の焦点」(講談社選書メチエ 2009年刊)で、薩摩藩の姉小路暗殺に…

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設定変更について その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 設定変更について その4 設定変更について その4 2015年6月19日登録 FileMaker PhotoDBの操作画面 設定変更について その3では、写真の撮影方法からフィルムのデジタル化で終わってしまいました。ここではデジタル化された画像ファイルの管理方法について書いてみたいと思います。 写真を撮影するのは楽しい…

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設定変更について その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 設定変更について その3 設定変更について その3 2015年6月19日登録 Nikon F4 + COOLSCAN Ⅴ ED 設定変更についてでは、先ず徘徊の記憶のフォーマット変更のために行ったCSSファイルの編集について書きました。また今まで訪問した場所の写真を整理し、それを告知するための徘徊の蔵書棚を開設しまし…

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設定変更について その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 設定変更について その2 設定変更について その2 2015年6月17日登録 徘徊の記憶 掲載写真を大きくした 設定変更についてで書きましたように、徘徊の記憶のデザイン変更と新たな徘徊の蔵書棚の立ち上げまでは比較的容易に終了しました。しかしウェブリブログの提供するImport機能が、単にエントリーを追加するもので…

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