百々橋 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 百々橋 その2 百々橋(どどばし)その2 2010年1月17日訪問 小川 小川町通寺之内の西北角に残された百々橋の礎石 水火天満宮の南に広がる扇町児童公園から小川通に入り南に下る。小川通が寺之内通と交わる北西角に細長い児童公園が現れる。小川の項でも触れたように、かつて小川通“おがわとおり”に沿って小川“こかわ”が流れて…

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小川

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 小川 小川(こかわ)2010年1月17日訪問 小川 小川町通寺之内の西北角に残された百々橋の礎石 左端に宝鏡寺の建物が見える 水火天満宮の南に広がる扇町児童公園は、天神公園として地元の人々の憩いの場となっている。堀川通を通る京都市営バスの停留所名も天神公園前とあるので、こちらの名の方が通りが良いのかもしれない。この公園…

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陵墓地形図集成

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 陵墓地形図集成 陵墓地形図集成(りょうぼちけいずしゅうせい)2017年9月18日記 陵墓地形図集成 宗諄女王墓 9月の三連休を使い陵墓地形図集成の京都府部分を表示する地図を作成してみた。陵墓地形図集成は、宮内庁書陵部保管の陵、墓、分骨所、火葬塚、灰塚などの測量図を纏めた書物。1999年に宮内庁書陵部陵墓課編で「宮内庁書…

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水火天満宮

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 水火天満宮 水火天満宮(すいかてんまんぐう)2010年1月17日訪問 水火天満宮 堀川通に面した鳥居 上京区扇町の大応寺の左隣には水火天満宮の鳥居が建つ。 水火天満宮はその名称から分るように、菅原道真を祀るために創建された神社である。旧村社、社殿によれば、延長元年(923)6月25日、醍醐天皇の勅願により菅原道真の神霊…

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大応寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 大応寺 臨済宗相国寺派 金剛山 大応寺(だいおうじ)2010年1月17日訪問 大応寺 妙覺寺の大門を出て上御霊前通を西に進むと堀川通に出る前に扇町児童公園が現れる。次の訪問地の大応寺は、この児童公園の北側に位置する。 大応寺は臨済宗相国寺派、山号は金剛山。正保2年(1645)悲田院が泉涌寺内に移転した跡地に建立されてい…

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妙覺寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 妙覺寺 日蓮宗本山 具足山 妙覺寺(みょうかくじ)2010年1月17日訪問 妙覚寺 大門 是より洛中碑の室町小学校の校門より北西の下清蔵口町に向う。この辺りには日蓮宗の寺院がいくつかあるが、その内の妙覺寺を先ず訪れる。 妙覺寺は日蓮宗の本山、山号は具足山で通称北竜華。妙顕寺、立本寺とともに日蓮宗の名刹三具足山の一つ。日…

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是より洛中碑

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 是より洛中碑 是より洛中碑(これよりらくちゅうひ)2010年1月17日訪問 是より洛中碑 光照院門跡の山門右脇にある持明院仙洞御所跡の石碑を確認した後、室町通に戻り、室町頭町にある室町小学校を目指す。 室町頭町は室町通の両側町。町名の頭町は室町通の北端という意味を持っている。現在の室町通は、途中東本願寺と京都駅で分断さ…

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持明院仙洞御所跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 持明院仙洞御所跡 持明院仙洞御所跡(じみょういんせんとうごしょあと)2010年1月17日訪問 持明院仙洞御所跡 光照院門跡の山門右脇に持明院仙洞御所跡の石碑が建つ。後伏見上皇の皇女・進子内親王が泉涌寺の無人如導によって落飾し、自本覚公尼となったのは、延文元年(1356)のこととされている。この時に室町一条北に光明院が創…

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光照院門跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 光照院門跡 光照院門跡(こうしょういんもんぜき)2010年1月17日訪問 光照院門跡(常磐御所) 高松伸設計の織陣Ⅲの斜め前に持明院仙洞御所跡の石碑が建つ。1998年と比較的新しい碑の建立者は光照院門跡 田中澄俊と恵聖院門主 中島真栄となっている。持明院仙洞御所については後ほど記すとし、先ずは現在存在している光照院門跡…

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織陣

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 織陣 織陣(おりじん)2010年1月17日訪問 織陣Ⅰ 昭和56年(1981)竣工 宝暦・明和事件の背景とその影響を記すために、藤井右門邸跡から始まり、その2、その3、その4、その5までと、思ってもいなかった程の長文になってしまった。この明和事件の発生した明和4年(1767)は、幕末維新の100年前に当たる。まだ幕府の…

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藤井右門邸跡 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 藤井右門邸跡 その5 藤井右門邸跡(ふじいうもんていあと)その5 2010年1月17日訪問 藤井右門宅跡 藤井右門邸跡 その3及び、その4で明和事件の主犯とされる山縣大弐と藤井右門の宣告とその最期を見てきた。この項では宝暦事件の主犯で明和事件にも連座した竹内式部の最期と事件終結後の藤井右門の末裔とその自邸の変遷について…

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藤井右門邸跡 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 藤井右門邸跡 その4 藤井右門邸跡(ふじいうもんていあと)その4 2010年1月17日訪問 藤井右門宅跡 2016年3月5日撮影 藤井右門邸跡 その3では明和事件において山縣大弐捕縛となった経緯と処罰がいかに決定し、刑に処せられたかについて書いてきた。ここでは藤井右門の宝暦・明和の二事件にどのように関与し、その最期を明…

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藤井右門邸跡 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 藤井右門邸跡 その3 藤井右門邸跡(ふじいうもんていあと)その3 2010年1月17日訪問 藤井右門宅跡 2011年6月18日撮影 藤井右門邸跡 その2では、明和事件の主犯とされる山縣大弐の経歴と事件の遠因となった柳子新論、そして事件の発端となった小幡藩での吉田玄蕃監禁について書いて来た。この項では山縣大弐逮捕に至った…

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藤井右門邸跡 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 藤井右門邸跡 その2 藤井右門邸跡(ふじいうもんていあと)その2 2010年1月17日訪問 藤井右門宅跡 藤井右門邸跡では、藤井右門が関与した明和事件を説明する前に、宝暦事件の経緯を竹内式部中心に見て来た。この項では明和事件の思想的な核となる柳子新論とその著者である山縣大弐について書いて行く。宝暦事件の舞台が京都である…

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藤井右門邸跡

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 藤井右門邸跡 藤井右門邸跡(ふじいうもんていあと)2010年1月17日訪問 藤井右門宅跡 2016年3月5日撮影 相国寺墓地の禁門変長州藩殉難者塔より、再び方丈の横に戻る。境内を南に歩き経蔵の角を右に曲がると塔頭の瑞春院と西門が見えてくる。この門は上立売通に建てられているので、境内を出るとすぐに烏丸上立売の交差点となる…

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禁門変長州藩殉難者塔 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 禁門変長州藩殉難者塔 その3 禁門変長州藩殉難者塔(きんもんのへんちょうしゅうはんじゅんなんしゃのとう)その3 2010年1月17日訪問 相国寺禁門変長州藩殉難者塔 禁門変長州藩殉難者塔 その2では、明田鉄男氏の「幕末維新全殉難者名鑑」(新人物往来社 1986年刊)を中心に長州兵の戦闘状況を見てきた。いよいよ、この項で…

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禁門変長州藩殉難者塔 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 禁門変長州藩殉難者塔 その2 禁門変長州藩殉難者塔(きんもんのへんちょうしゅうはんじゅんなんしゃのとう)その2 2010年1月17日訪問 相国寺 禁門変長州藩殉難者塔 禁門変長州藩殉難者塔では、幕末維新について記された書籍が上善寺とこの相国寺の首塚をどのように紹介しているかを見た後、副碑の文面を読んだ。そして薩摩側の史…

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禁門変長州藩殉難者塔

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 禁門変長州藩殉難者塔 禁門変長州藩殉難者塔(きんもんのへんちょうしゅうはんじゅんなんしゃのとう) 2010年1月17日訪問 相国寺 禁門変長州藩殉難者塔 相国寺の境内にある後水尾天皇髪歯塚と宗旦稲荷に続き、墓地内の禁門変長州藩殉難者塔を参拝する。 浴室と塔頭・大光明寺の間の道を西に進んだ先に相国寺の墓地が現れる。入口の…

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宗旦稲荷

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 宗旦稲荷 宗旦稲荷(そうたんいなり) 2010年1月17日訪問 相国寺 宗旦稲荷社 相国寺の経蔵北側の後水尾天皇髪歯塚に続き宗旦稲荷に参拝する。 法堂の東側、塔頭・光源院の向かいに洪音楼とよばれる大きな鐘楼がある。元の鐘楼は天明8年(1788)1月30日の大火で焼失している。「相国寺史稿」(「相国寺史料」(思文閣 19…

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後水尾天皇髪歯塚

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 後水尾天皇髪歯塚 後水尾天皇髪歯塚(ごみずのおてんのうはつしづか) 2010年1月17日訪問 後水尾天皇髪歯塚 東門から相国寺の境内に入り禁門変長州藩殉職者塔に向う途中、経蔵の北側で後水尾天皇の髪歯塚を発見した。。相国寺の公式HPに掲載されている境内図には下記のような説明がある。後水尾帝歯髪塚 後水尾上皇(ごみずのおじ…

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相国寺 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 相国寺 その4 臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その4 2010年1月17日訪問 相国寺 相国寺 その3では、その規模と創建当時の伽藍を中心に書いてきた。この項では江戸中期に発生した天明の大火以降の再建の状況と明治維新の上知令が与えた影響について見て行く。 相国寺は創建以来、数度の…

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相国寺 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 相国寺 その3 臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その3 2010年1月17日訪問 相国寺 法堂 相国寺 その2では創建前後の政治的状況を中心に、若き将軍・足利義満と春屋妙葩、義堂周信の関係について見てきた。この項では、相国寺の位置と規模について書いてみる。 まず「古寺巡礼 京都 2…

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相国寺 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 相国寺 その2 臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その2 2010年1月17日訪問 相国寺 相国寺の塔頭・林光院の墓地にある薩摩藩戦死者の墓について調べたら、その2、その3、その4と続き、思った以上の長編になってしまった。次の目的地も相国寺墓地内にある禁門変長州藩殉難者塔であるので、…

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薩摩藩戦死者の墓 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 その4 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか)その4 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓  相国寺の東門と墓地との位置関係 薩摩藩戦死者の墓 その3では、薩摩藩戦死者の墓に祀られている人々の中で、甲子戦争戦死者の行動と靖国神社への合祀について書いてきた。この項ではもうひとつの戦い…

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薩摩藩戦死者の墓 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 その3 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか)その3 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓 薩摩藩戦死者の墓 その2では、甲子戦争での薩摩藩の戦闘状況を書いてきた。この項では薩摩藩戦死者の墓に祀られている人々の行動を墓に埋められた陶板と幕末維新全殉難者名鑑を比較しながら明らかにする…

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薩摩藩戦死者の墓 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 その2 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか)その2 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓 薩摩藩戦死者の墓では、薩摩藩と墓地を管理している相国寺塔頭・林光院の関係から甲子戦争の戦闘直前までの状況を書いてきた。この項では甲子戦争の戦闘状況を見て行く。 甲子戦争は、伏見より進撃した長…

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薩摩藩戦死者の墓

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 薩摩藩戦死者の墓 薩摩藩戦死者の墓(さつまはんせんししゃのはか) 2010年1月17日訪問 相国寺 薩摩藩戦死者墓 上御霊神社の西の鳥居にある応仁の乱勃発地の石碑を確認した後、薩摩藩戦死者の墓に向う。相国寺の墓地ではあるものの境内の外に位置する。塔頭の林光院の東側にある東門を潜った外側、上立売通の北側にある幼稚園の西側…

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応仁の乱勃発地

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 応仁の乱勃発地 応仁の乱勃発地(おうにんのらんぼっぱつち) 2010年1月17日訪問 応仁の乱勃発地 上御霊神社の西の楼門と鳥居を潜り、上御霊前通に出ると鳥居の右手側に応仁の乱勃発地の石碑がある。これは京都市が昭和45年(1970)に建てた碑である。 応仁の乱とは、室町時代の応仁元年(1467)から文明9年(1477)…

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上御霊神社

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 上御霊神社 上御霊神社(かみごりょうじんじゃ) 2010年1月17日訪問 上御霊神社 本殿 閑臥庵の山門前を過ぎてすぐに鞍馬口通を南に折れる。閑臥庵を含めてこの辺りは北区新御霊口町で、寺町通より西側の鞍馬口通の両側町である。複雑なことに、この北区新御霊口町の南東、西園寺の寺町通を挟んで西側には上京区新御霊口町がある。そ…

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閑臥庵

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 閑臥庵 黄檗禅宗 瑞芝山 閑臥庵(かんがあん) 2010年1月17日訪問 閑臥庵 竜宮門 西園寺の山門を出て天寧寺の前を過ぎ、再び寺町通と鞍馬口通が交わるところまで戻る。鞍馬口通を東に曲がれば上善寺そして出雲路鞍馬口に至るが、今度は西に曲がる。通りの北側に閑臥庵の竜宮門が現われる。 閑臥庵は黄檗宗の禅寺で山号は瑞芝山。…

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西園寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 西園寺 浄土宗 宝樹山竹林院 西園寺(さいおんじ) 2010年1月17日訪問 西園寺 山門 天寧寺の山門を出て寺町通を南に下ると、すぐに次の西園寺の山門が現われる。西園寺は寺名から分かるように清華家・西園寺家に所縁がある。西園寺 本堂西園寺 地蔵堂 左は稲荷社 西園寺家は藤原公実の四男・藤原通季を祖とする。父の公実は平…

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天寧寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 天寧寺 曹洞宗 万松山 天寧寺(てんねいじ) 2010年1月17日訪問 天寧寺 山門の奥に比叡山が見える 上善寺の墓地への入り方が分からなかったため、残念ながら長州人首塚を果たせず、鞍馬口通に面した上善寺の山門前から寺町通を下った。 御土居建設時、寺町通に沿って寺院が移築されたため、この場所の寺院は寺町通の東側に一列に…

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贈 正四位入江九一外七名首塚 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 贈 正四位入江九一外七名首塚 その2 贈 正四位入江九一外七名首塚(ぞう しょうしいいりえくいちほかななめいくびつか)その2 2010年1月17日訪問 贈 正四位入江九一外七名首塚 贈 正四位入江九一外七名首塚では首塚の主である入江九一の略歴、甲子戦争での最期の状況について越前側の視点も含めて見て来た。ここでは首塚が発…

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贈 正四位入江九一外七名首塚

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 贈 正四位入江九一外七名首塚 贈 正四位入江九一外七名首塚(ぞう しょうしいいりえくいちほかななめいくびつか) 2010年1月17日訪問 贈 正四位入江九一外七名首塚 上善寺山門前の碑 上善寺の山門前には3つの碑がある。先ず一番大きな「第一番六地蔵寺」、六地蔵巡りのためのものであろうが鞍馬口通に面する碑文には上善寺の文…

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上善寺

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 上善寺 浄土宗 千松山遍照院 上善寺(じょうぜんじ) 2010年1月17日訪問 上善寺 出雲路橋の西詰北側の公園にある出雲路鞍馬口の石碑と師範桜碑を確認した後、鞍馬口通を西に進むと、寺町通が鞍馬口通に突き当る先に上善寺の山門が現れる。鞍馬口通から今出川通にかけての寺町通に面した一帯を寺町頭とも呼ぶらしい。これからこの寺…

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師範桜碑

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 師範桜碑 師範桜碑(しはんさくらひ) 2010年1月17日訪問 師範桜碑 出雲路橋の西詰北側の公園の一角に出雲路鞍馬口の石碑が建つ。この地はかつて、出雲より都に来た人々が多く住む集落があったため出雲郷と呼ばれていた。賀茂川の西岸に現在でも出雲路を冠する町名が残る。出雲路は洛北にあって鞍馬に至る鞍馬街道の出発点でもあり、…

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出雲路鞍馬口

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 出雲路鞍馬口 出雲路鞍馬口(いずもじくらまぐち) 2010年1月17日訪問 出雲路鞍馬口 光格天皇御胞塚の石碑の建つ護浄院の境内から河原町通に出る。ここより市バスを使い出雲路橋に向う。鴨川の西岸に沿った道の内、葵橋西詰から京都産業大学総合グランドの北にある高橋の西詰までを加茂街道と名付けている記事を見かけたことがある。…

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光格天皇御胞塚

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 光格天皇御胞塚 光格天皇御胞塚(こうかくてんのうおんえなづか) 2010年1月17日訪問 光格天皇胞衣塚 護浄院の境内に、五輪塔とともに光格天皇御胞塚の石碑が建つ。碑文は光格天皇御胞塚とあるだけで建立年や建立者も記されていない。碑文も摩滅し読み辛くなっているため、「第百十九代光格天皇御胞塚」という駒札が新たに建てられて…

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清三宝大荒神尊

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 清三宝大荒神尊 清三宝大荒神尊(きよしさんぽうこうじんそん) 2010年1月17日訪問 清三宝大荒神尊 護浄院の荒神口通に面した山門の東脇に、清三宝大荒神尊と記された石碑が建つ。一見すると護浄院の建てた寺号を示す碑の様に見えたが、裏側(南面)の建立者を見ると、三宅安兵衛遺志とある。大正15年12月の建立である。三宅安兵…

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護浄院

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 護浄院 天台宗 護浄院(ごじょういん) 2010年1月17日訪問 護浄院 清荒神 京都府立鴨沂高等学校の校門脇に建てられた明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯の石碑を確認した後、寺町通を北上して荒神口通を右に曲がる。法成寺址の前を過ぎてさらに東に進むと、新烏丸通の東南角に護浄院が現われる。この寺院のある荒神町は寺町通から河…

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明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯 その2 明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯(めいじてんのうぎょうこうしょきょうとふじんじょうちゅうがっこうあと)その2 2010年1月17日訪問 明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯 2009年12月10日撮影 2010年1月に京都府立鴨沂高等学校を訪れた際はまだ高校として使われていたが、2…

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京都府立鴨沂高等学校 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 京都府立鴨沂高等学校 その2 京都府立鴨沂高等学校(きょうとふりつおうきんこうとうがっこう)その2 2010年1月17日訪問 鴨沂高等学校 九条家河原町邸の門を移築 京都市教育会が大正4年(1915)に建立した「従是東北 法成寺址」の石碑についての事々を法成寺址 その5において書いてきた。石碑が建てられた後に鴨沂高等学…

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昭和京都名所圖會 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 昭和京都名所圖會 その4 昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その4 昭和京都名所圖會 地図上へのプロット 昭和京都名所圖會から その2、その3と3回にわたり竹村俊則の経歴と共に「新撰京都名所圖會」全七巻(白川書院 1965年完結)から「昭和京都名所圖會」全七巻(駸々堂出版 1989年完結)までの執筆の経緯…

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昭和京都名所圖會 その3

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 昭和京都名所圖會 その3 昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その3 昭和京都名所圖會 「昭和京都名所圖會 巻一」 洛東-上 今熊野図 竹村俊則画 昭和54年9月 このような広域の鳥瞰図も描いている 昭和京都名所圖會 その2では、「新撰京都名所圖會」の完結と白川書院の廃業までを書いてきました。この項では「昭…

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昭和京都名所圖會 その2

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 昭和京都名所圖會 その2 昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その2 昭和京都名所圖會 「昭和京都名所圖會 巻一」 洛東-上 昭和京都名所圖會では、1965年に全7巻で完結した「新撰京都名所圖會」とその後に時代の変化に合わせて改訂出版された「昭和京都名所圖會」を紹介するに留まってしまいました。この項では竹村…

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昭和京都名所圖會

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 昭和京都名所圖會 昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)その1 昭和京都名所圖會 「新撰京都名所圖會 巻三」 洛中の部1 2016年末から2017年始に向け、竹村俊則の「昭和京都名所圖會」の特集を準備してきました。しかし想像以上に作業に作業時間を要したことにより、2017年1月末更新という何とも格好の悪いこと…

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法成寺址 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 法成寺址 その5 法成寺址(ほうじょうじあと)その5 2010年1月17日訪問 法成寺址 左側は京都府立鴨沂高等学校の運動場 明けましておめでとうございます。2017年最初の更新となります。  昨年は9月頃から”別の作業”が忙しくなり、なかなか更新することが出来なくなりました。その作業も凡そ目途がつき、3月頃には完了す…

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史跡・御土居

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 史跡・御土居 史跡・御土居(しせき・おどい) 2010年1月17日訪問 廬山寺 御土居 廬山寺墓地の東側、河原町通との間に南北に並ぶ木の列が見える。墓地の地盤に比べてやや高台になっている箇所が、豊臣秀吉の天正の地割りと共に築かれた御土居の東端にあたる。中村武生氏の「御土居堀ものがたり」(京都新聞出版センター 2005年…

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慶光天皇廬山寺陵 その5

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その5 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その5 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺陵 慶光天皇廬山寺陵 その4では、尊号一件の目的とするところとその始まり、そして松平定信の老中筆頭への昇格と関白鷹司輔平との交渉の経緯を書いてきた。ここでは朝廷側から申し入れられた“小一条院に準…

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慶光天皇廬山寺陵 その4

ブログを引越しました! → 徘徊の記憶│Haikai no kioku ・ 慶光天皇廬山寺陵 その4 慶光天皇廬山寺陵(けいこうてんのう ろざんじりょう)その4 2010年1月17日訪問 慶光天皇廬山寺 慶光天皇廬山寺陵 その3では、天明8年(1788)1月30日に発生した天明の大火による御所焼失から寛政度の復古造営までの朝幕交渉について見て来た。御所御千度参において幕府との交渉の機会を得た光…

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