徘徊の記憶

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zoom RSS 産寧坂・二寧坂・一念坂

<<   作成日時 : 2009/10/02 03:52   >>

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産寧坂・二寧坂・一念坂(さんねいざか・にねんざか・いちねんざか) 2008年05月16日訪問

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産寧坂


 清水寺を出て、高台寺の方へ向う。清水寺の仁王門前から始まる松原通を下っていくと、程なくして松原通と五条通が合流箇所に出る。有名な七味家本舗の脇を松原通から下っていく石段がある。ここが産寧坂の始まりとなる。

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産寧坂 入口にある七味家本舗

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産寧坂


 この坂の由来はどうもはっきりしない。清水寺の南にあった泰産寺へ続く坂道のため産寧坂と言うという説が説得力を持っている。明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となったため、泰産寺の歴史自体も明らかなことは分からない。聖武天皇と光明皇后が安産祈願をして、後に孝謙天皇となる皇女を授かったお礼に建立したという伝承や、坂上田村麻呂の娘が皇子を出産したのを祝って建てたとの説も残っている。創建時期も確定できないが、おそらく清水寺との関係や伽藍の配置から考えると後者の説のほうが史実に近いような気がする。孝謙天皇が生まれたのは養老2年(718)のことであるから、この時期に泰産寺が創建していたのならば、清水寺の創建より50年以上古いこととなる。もしこの地域で最初に寺院を建てるのであれば、清水寺の門前ではなく現在の地主神社の位置に建てるよう思える。いずれにしても泰産寺はその名称から分かるように安産祈願の寺院として建立されたと考えられる。
 泰産寺の泰の字は、大の下に水をはさんで左右に手を添えた形であり、水から人を救い出し安らかである状態を示しているといわれている。また寧の字も「やすらか」という意味を持つことから、「泰産」寺と「産寧」坂は似た意味を持つ言葉であることが分かる。
 この他にも、大同3年(808)に出来た坂なので三年坂という説もあるが、どうもしっくりとこないような気がする。

 また産寧坂で転ぶと、三年以内に死ぬとか、三年の寿命が縮まるという伝説がある。これが三年坂の語源とする説もある。ヒデさんのHP 名所旧跡めぐりには、子安の塔へ参詣する身重の身体を気遣って、転ばぬように注意を促す注意が伝説化したように考えられている。このあたりが実情に近いのではないかと思われる。

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産寧坂 現在のあけぼの亭

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産寧坂 門前にある碑


 坂を下り始めてすぐの右手に、京料理を供する明保野亭がある。店の前には、明保野亭跡の碑も建つように、幕末の明保野亭は志士達の密議の場となった料亭である。元治元年6月5日(1864)新選組による池田屋襲撃事件が発生する。 この事件で尊攘派浪士を9名討ち取り4名捕縛するが、桂小五郎を含めて多くの者が池田屋から逃げ去っている。新選組は会津・桑名藩らと連携し翌朝からの市中掃討を行う。会津藩5名、彦根藩4名、桑名藩2名の即死者を出し、20余名の浪士を捕縛している。
 この掃討の中の6月10日、明保野亭を探索中の新選組と会津藩は不審者を認め、槍で刺して捕えた。それが土佐藩家老・福岡宮内家臣の麻田時太郎であった。新選組は、武田観柳斎、浅野藤太郎を含む隊士15名と会津藩士5名が動員されていたので、現場の指揮権は新選組にあったと思われる。しかし土佐藩士・麻田時太郎を刺したのが会津藩士柴司であったため、問題は複雑化した。土佐勤王党は尊皇攘夷活動を行っていたし、池田屋事件で土佐出身の北添佶摩、石川潤次郎そして望月亀弥太が死亡している。
 しかし山内容堂の土佐藩は公武合体を是としている。会津藩も土佐藩も互いの関係悪化を回避したため、結果的には麻田時太郎も柴司も自刃することとなる。池田屋事件後の殺伐とした雰囲気の中で生じた些細な過ちが、2人の命を奪う結果となった。麻田時太郎の墓は佐藩邸から近い裏寺町通の常楽寺に、柴司の墓は、ちひろさんのHP 向陽處によると金戒光明寺内の会津墓地内にある。明保野亭の旧地は、現在の地よりやや北東の京都阪口、青龍苑の辺りにあったとされている。

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産寧坂

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産寧坂 青龍苑の坂に面した部分


 天明7年(1787)に刊行された拾遺都名所図会には清水三年坂として、絵図が掲載されている。石段は描かれているものの現在のように民家が軒を並べておらず、そこには清水焼の窯が描かれている。

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産寧坂

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産寧坂

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産寧坂 奥丹の門 道はさらに左に曲がっていく


 産寧坂界隈は、昭和47年(1972)、特別保全修景地区に指定され、昭和51年(1976)、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。産寧坂は石段を下り切ると、道は次第に西に向かって曲がり下っていく。左手に見える奥丹の門を過ぎる辺りで、産寧坂は終わり、次の二寧坂の石段が右手に始まる。ただし産寧坂という名は終わるが、法観寺の八坂の塔が美しい最も京都らしい道は続く。

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二寧坂 坂の始まり部分

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二寧坂 道標


 奥丹の前から再び北へ続く道に入ると二寧坂が始まる。わずか100メートル程度の道であるが、清水寺と高台寺を結ぶため、多くの観光客がこの細い道に入ってくる。二寧坂と一念坂については、この地域の商店主と地域住民が設立した「古都に燃える会」が運営しているHP 京の坂道・二寧坂に、由来や歴史がまとめられているので参照させて頂く。
 二寧坂の名の由来は、産寧坂でも出てきた坂が整備された大同2年(807)に因んだものと、産寧坂の下なので二寧坂と呼ばれるようになったという2つの説が記されている。三年(産寧)坂の記述は拾遺都名所図会の他にも江戸時代末期・元治元年(1864)に纏められた花洛名勝図会に掲載されているが、二寧坂が現れてこないことからも比較的新しい名付けであろう。

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二寧坂


 二寧坂の石段を下り始めると右手に竹久夢二寓居の跡の碑がある。どうも今回は通り過ぎてしまったようで、写真が残っていない。

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二寧坂

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二寧坂 修景された一画


 竹久夢二は大正浪漫を代表する画家というよりは、挿絵やポスターなどを多く手がけたことによって日本の近代グラフィック・デザインのパイオニアとして歴史に名を残している。
 明治17年(1884)岡山県邑久郡の代々酒造業を営む家に次男として生まれる。長男が亡くなっているので、生まれながら長男として育てられている。明治33年(1900)酒造所をたたみ、一家は福岡県八幡村に移住する。その翌年夢二は単身上京し、早稲田実業学校入学する。この学生時代よりスケッチを出版社に投稿している。明治38年(1905)夢二の絵が新聞や雑誌に掲載されるようになり早稲田実業専攻科を中退する。
 夢二が京都二寧坂に下宿したのは、大正5年(1916)2月のことだった。この時期、夢二は岸たまきと結婚し2人の子供がいた。しかし大正3年(1914)日本橋呉服町に開店した「港屋絵草紙店」で笠井彦乃と出会っている。この彦乃が後を追って京都に来るまでの2ヶ月間、夢二は二寧坂で暮らしている。その後、夢二と彦乃は高台寺の近くに居を求め同棲する。しかし大正7年(1918)九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病した彦乃は、父によって東京に連れ戻され、夢二との面会もできなくなる。そして大正9年(1920)に亡くなっている。
 夢二と彦乃にとっての京都は、ほんの僅かな時間で終わる。しかしこの地に港屋という名で夢二の商品を扱う店が出店することによって、この道自体が夢二の描く絵に表現された大正の香りが移っていくように思える。

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一念坂 道標と猫

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一念坂 本当に普通の道

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一念坂 右は旧竹内栖鳳邸の塀


 二寧坂が高台寺に突き当たる少し手前に左に曲がる道が現れる。この道の入口に一念坂と記された碑が建つ。この道は先で右手に曲がり、大きな門と竹内栖鳳の旧邸を示す碑が現れて終わる。

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一念坂 旧竹内栖鳳邸越しに眺める八坂の塔

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一念坂 旧竹内栖鳳邸を示す碑


 「古都に燃える会」は昭和61年(1986)に古都の美しい景観を護りながら、この観光商業地の活性化を図るために設立したことが分かる。確かに歯止めのない商業化によって、一番売り物となるはずの景観を損ねている事例は多くある。清水寺への参道となっている松原通の現状を成功している観光商業地と見ることも、日本の観光地でよく目にするひとつの光景と見ることもできる。
 それだけに地域での建築協定の設立やデザインコードの統一は、その加減が難しいと思う。あの松原通から始まる産寧坂、二寧坂、一念坂そして、ねねの道につながる町並みの整備は、ぎりぎりの所で商業化の大波を食い止めているようにも見える。この「古都に燃える会」の取り決めているルールがどのようなものか分からないが、観光客にとっては程良い商業性を与えているのではないかと思う。

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一念坂 旧竹内栖鳳邸は The Garden Oriental Kyotoというイタリアンレストランになっていた

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