徘徊の記憶

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zoom RSS 相国寺 その4

<<   作成日時 : 2017/06/16 06:59   >>

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臨済宗相国寺派大本山萬年山 相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)その4 2010年1月17日訪問

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相国寺 


 相国寺 その3では、その規模と創建当時の伽藍を中心に書いてみた。この項では江戸中期に発生した天明の大火以降の再建の状況と明治維新の上知令が与えた影響について見てゆく。

 相国寺は創建以来、数度の火災に見舞われ、その度に再興がなされてきた。特に天明8年(1788)1月30日未明、鴨川東側の宮川町団栗辻子の町家から出火した天明の大火の被災は深刻なものであった。御所を始め仙洞御所、摂関家の邸宅から京都所司代そして東西両奉行所までもが悉く焼失した上、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰したとされている。焼失した範囲は、東は河原町・木屋町・大和大路まで、北は上御霊神社・鞍馬口通・今宮御旅所まで、西は智恵光院通・大宮通・千本通まで、南は東本願寺・西本願寺・六条通まで達している。御所の北に位置する相国寺の伽藍も法堂・浴室・法住院・光源院・林光院・大智院・慧林院・慈照院・富春軒・巣松軒・雲泉軒の二宇九院を除いてほとんどを失っている。先ず寛政元年(1789)4月24日には鐘楼を仮設し鐘をかけている。寛政2年(1790)5月13日に冨春軒の客殿と庫裏を移して鹿苑院方丈を再造している。同年9月15日には鹿苑院が再造落成している。翌3年(1791)11月3日には、慶雲院、松鷗庵跡地に天龍寺塔頭福寿庵の建物を移築して松鷗庵として再建している。同5年(1793)9月26日、は鹿苑院に移築した冨春軒の客殿と庫裏を再造している。同9念(1797)8月5日、総門が上棟する。
 寛政元年(1789)から始まった天明の大火の再建は梅荘顕常、維明周奎などにより、文化年間(1804〜18)までには現存の建築物の大部分が完成している。それでも「相国寺史料編年集成」(同志社大学歴史資料館館報 2012年刊)を眺めると、文政、天保以降も、慶応2年(1866)2月26日の侍真寮を再建、立柱まで続けられてきたことが分かる。相国寺の公式HPに掲載されている「相国寺のあゆみ 天明の大火」の最後に「世は幕末ですから、政治的混乱や経済的破綻に、国民全部が苦しんでいる時節でした。相国寺山内のあちこちには、焼けたまま復興されない塔頭趾や、崩落した土塀が見られました。」と記しているので、幕末維新まで大火の傷跡が残されていたようだ。

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相国寺 仏殿跡 2008年5月17日撮影


 天明の大火前後の相国寺の境内の違いは絵図に残っている。「相国寺研究 一 相国寺の歴史」(相国寺教化活動委員会 2006年刊)には、天明8年(1788)以前の寺息が4面の拡大図を含めて所収されている。この絵図の最も北の中央よりに冨春軒が描かれている。天明の大火の被災から逃れ、鹿苑院を逸早く再建するために客殿と庫裏を提供した塔頭である。その南に慈照や桂御所御廟の文字が見えることから、現在の慈雲院と慈照院のあたりである。相国寺の公式HPに掲載されている慈雲院を見ると、「慈雲院は、当初は現在の京都産業大学附属中・高等学校になっている敷地にありましたが、明治二十九年(1896)に毀却し寺號を富春軒に移しました。大正期に第十五世琢堂周圭和尚は一日一善を提唱し社会活動を行い、大正六年(1917)「衆善」誌を発刊し、大正十三年(1924)に和敬学園を創立し、現在に至ります。」とある。また烏丸通が柳之辻子で突き当たり、その北側で相国寺の境内が西側に拡がっていることも確認できる。
 これに対して大火後の境内図が「相国寺研究 三 近世の相国寺」(相国寺教化活動委員会 2008年刊)に2枚所収されている。1枚目は「資料二十五 天明大火後の境内図(相国寺蔵)」は残念ながら作成年が分からない。図中で大光明寺跡とあるが、心華院と既に廃絶していた常徳院と再建できなかった大光明寺の3ヶ寺が合併したのが明治36年(1903)のことであった。2枚目の「資料二十三 當時緫封疆之圖 天保十四癸卯歳差出(相国寺蔵)」は幕末の始まりとなる天保14年(1843)作成されている。上記の「相国寺山内のあちこちには、焼けたまま復興されない塔頭趾や、崩落した土塀が見られました。」の元になっている境内図であろう。これには緫地坪数平均凡七萬五千弐百五拾三坪余(75,253坪)とある。

 文久2年(1862)9月、薩摩藩が新たな京藩邸を造るため、鹿苑院及び瑞春庵は、その所属藪地ならびに門前五町、計6946坪9分強を貸与している。この経緯については薩摩藩邸址で書くこととする。明治に入り版籍奉還、廃藩置県が断行されると、新政府の太政官は諸藩に対して大阪と京都にある藩邸の処分に関する上知令を明治3年(1870)に出している。大阪と京都の藩邸を売り払うか上知するかを京都府に届け出ることを命じた通達であった。薩摩藩邸は、上記のように相国寺の借地であったので、本来であれば相国寺に返却すべきものであった。しかし薩摩藩邸は返却されずに、そのまま残った。明治5年(1872)再度、上知令が出された。前回の通達が効果を出せなかったため、今度は「出張所蔵屋敷等悉皆有形ノ儘上邸致候」と藩邸内にある施設をそのまま府に引き渡すべしと強制的な命令であった。ついに薩摩藩京都藩邸は京都府に接収され、すぐに旧薩摩藩士・池田春苗に売却されている。この地は、後に同志社英学校が開校される場所であった。どのような経路を経たかは分からないが山本覚馬の所有となり、それを新島襄が売却されたようだ。いずれにしても、相国寺にとってすれば、本来ならば戻ってくるはずの土地が、勝手に京都府によって売却されてしまったということだ。

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相国寺 浴室


 これ以外にも、相国寺に対する社寺領上知令が明治4年(1871)に布告されている。この経緯については、「相国寺研究 七 宗門と宗教法人を考える −明治以降の臨済宗と相国寺派」(相国寺教化活動委員会 2014年刊)で上知令という項目を立てて説明している。廃藩置県は明治4年(1871)7月14日に実施されるが、明治2年(1869)6月17日に274大名から版籍奉還が行われている。藩が所有している土地と人民を明治政府の所轄に移すことである。しかし各大名は知藩事として引き続き旧大名領の統治に当たるということに改めている。これは幕藩体制の廃止の一歩ではあるものの、状況はほとんど江戸時代から変わらないものであった。これに伴い社寺の領主特権も問題になり、領地を天皇に返上すべきという太政官令「第四 社寺領現在ノ境内ヲ除ク外上地被仰出土地ハ府藩県ニ管轄セシム」が明治4年(1871)1月5日に発せられている。条文は以下の通りである。

諸国神社由緒ノ有無ニ不拘朱印地除地等従前之通被下置候処各藩版籍奉還之末社寺ノミ土地人民私有ノ姿ニ相成不相当ノ事ニ付今度社寺領現在ノ境内ヲ除ノ外一般上知被 仰付追テ相当禄制被想定更ニ廩米ヲ以テ可下賜事


 現在の境内地以外は一律に没収を命じ、追って年貢に替わる禄制を定めて、それに相当する蔵米を支給するという内容である。江戸時代の相国寺の寺領は1762石を所有していたが、これらが先ず没収される。その代わりに支給される蔵米も10年で打ち切りになるものだった。
 経済的に困窮した相国寺は明治5年(1972)11月2日に請地奉願口上書を京都府に提出している。その内容は、上知令によって没収された土地の内、境外にある藪地と荒蕪地については、従来から本山や塔頭が所有してきた経緯があるので、代金を払うので払い下げて欲しいというものであった。これ等は天明の大火によって類焼した伽藍の跡地であって荒地になっていたのを一山で竹木を植え付けて、今のような繁茂の状態にすることができたので、格別な配慮を頂きたいと述べている。
 上記の「相国寺研究 七 宗門と宗教法人を考える」には、上知された境内地の面積区分表が付けられている。これに従うならば地目は境内から藪地までの8種類に分けられ、それぞれの坪数と使われ方等が記されている。1の境内は相国寺及び塔頭の現在の境内で22,021坪1分7厘、2の畑が1295坪4分 3の藪地32,741坪1分9厘が口上書で払い下げ願い出ている部分 4の檜木は植付け記載帳簿があるもので130坪3分5厘 5の荒蕪は上知された部分で3,569坪5分4厘、6の荒蕪は薩摩藩へ貸し渡し返却された部分で4,221坪9分、7も荒蕪で薩摩藩へ貸し渡した土地2,765坪、そして8の藪地120坪は寛文年間に境内に武家屋敷を建てた祭に替地として取得した部分。この1から8までの合計が66,864坪5分5厘となる。これは、天保14年(1843)作成され當時緫封疆之圖に記されていた75,253坪よりも1割以上少ない。この内、3から6までが上知されたので、相国寺に残った面積は26,201坪5分7厘、明治4年時点で失った面積は40,662坪9分8厘となる。実に60%及ぶ面積を失ったことが分かる。

 また明治5年(1972)時点の境内図が相国寺に残されている。この図(「相国寺研究 七 宗門と宗教法人を考える −明治以降の臨済宗と相国寺派」の写真1)で灰色に塗りつぶされている部分が京都府に上知された土地である。伽藍がある土地以外は悉く法令通りに上知されているのがよく分かる。明治5年(1972)11月2日の口上書での訴えが通らなかったため、相国寺は翌6年(1973)にも計4回の嘆願書類を提出している。 

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相国寺 西門


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