徘徊の記憶

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<<   作成日時 : 2017/02/12 15:31   >>

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天台宗 護浄院(ごじょういん) 2010年1月17日訪問

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護浄院 清荒神


 京都府立鴨沂高等学校の校門脇に建てられた明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯の石碑を確認した後、寺町通を北上して荒神口通を右に曲がる。法成寺址の前を過ぎてさらに東に進むと、新烏丸通の東南角に護浄院が現われる。この寺院のある荒神町は寺町通から河原町通を越え三本木通までの荒神口通に面した南北町である。鴨沂高等学校のグランドは荒神町であるが、荒神口通の南側にある校舎は松蔭町に含まれている。また護浄院を過ぎると荒神口通の南側は上生洲町になる。南北町であるにも関わらず荒神口通の南側は護浄院と河原町通より先の数軒のみだけである。

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護浄院 荒神口通

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護浄院 荒神口通に面した山門 2014年10月8日撮影


 護浄院は天台宗の寺院。本尊が清三宝大荒神尊であることから清荒神とも呼ばれている。荒神口通も荒神町もこの護浄院に由来している。他にも「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社 1997年刊)には、常施無畏寺または常施寺という名も記されている。
 寺伝によれば、宝亀2年(771)開成皇子が摂津国勝尾山を開闢した際、荒神が八面八臂の鬼神となって出現している。その荒神を守護神として勝尾山清師に祀ったのが始まりとされている。開成皇子は光仁天皇の庶子として神亀元年(724)に生まれ、井上皇后の廃位後に夫人となった高野新笠の子である桓武天皇の兄にあたる。開成には天平神護元年(765)藤原致房の子の善仲、善算の兄弟に師事して仏門に入ったとする伝承が残っている。さらに大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した人物ともされている。

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護浄院 清荒神 天台宗の寺院ではあるが鳥居がある


 室町時代に入り後小松天皇の勅により僧乗厳が京都の高辻堀川の東に移している。現在でもこの地には荒神町という地名が残されている。醒ヶ井通高辻上ルの東側に残る天台宗観音寺の寺伝によれば、延暦7年(788)最澄の開基で観音菩薩を本尊としたが、至徳年間(1384〜87)に摂津国勝尾山より荒神像を移し清荒神と号したとされている。これは京都から現在の箕面市にある勝尾山までは遠いため、天皇命により三宝荒神を都に移したとも言われている。ちなみに現在でも勝尾山には日本最初の荒神社とする三宝荒神社がある。
 この荒神像は慶長5年(1600)に荒神口に再び移されている。護浄院の寺伝では豊臣秀吉の命による移動としている。秀吉が寺町に寺院を集めたのは天正18年(1590)とされている。その翌年には御土居建設に着手しているので、護浄院の移転は寺町の形成や御土居建設より後の出来事であったようだ。

 貞亨2年(1685)に水雲堂狐松子によって著された「京羽二重」(「新修 京都叢書 第六巻 京羽二重 京羽二重織留大全」(光彩社 1968年刊))によれば以下のように寺は代々の勅願寺となっている。

常施寺 京極荒神口
本地不動尊代々御勅願寺也号清荒神


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護浄院 境内南東を望む

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護浄院 境内北東を望む

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護浄院 境内北西を望む 中央が清荒神


 霊元天皇は天和元年(1681)に本地不動護摩供の不断修行を命じ、東山天皇は元禄2年(1689)長日護摩供、三千座の供養を命じている。同7年(1694)には住持実誉に僧官が与えられ、この時天皇より新たな護浄院という寺名を与えられている。寺領6石1斗3升、寺地東西19間1尺・南北28間1尺が京都御役所向大概覚書に残されている。
 天明8年(1788)正月30日に発生した天明の大火で京都御所・仙洞御所そして二条城と共に護浄院も焼失している。再建されたのは寛政年間(1789〜1801)のことであった。また慶応2年(1866)に孝明天皇が念持仏の千手観音像を安置し、明治24年(1891)には皇太后と皇后より殿堂造営費が下賜されている。白慧こと坂内直頼は正徳元年(1711)年に刊行された「山州名跡誌」(「新修 京都叢書 第十九巻 山州名跡志 坤」(光彩社 1968年刊))で以下のように記している。

今此社ハ 後陽成院勅シテ。文禄年中ニウツサル。始五條坊門油小路西。然ルヲ又 北闢ニ近カランタメ。此地ニ移シ玉ヘリ。巽ハ彼神寄宿ノ所。此地又 北闢ノ巽ナリ。


 このように天皇家よりの崇敬は、護浄院を都の巽の守護神として祀っていたことにある。なお護浄院を寺町に移したのは後陽成院であり、それは文禄年間(1592〜96)のこととしている。

 寺宝に伝慈覚大師円仁作の不動明王、伝乗厳作の如来荒神、伝後陽成天皇刻の七体荒神などがあり、境内には光格天皇胞衣塚、浄蔵護摩修練の跡、無垢ノ井などが残る。

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護浄院 


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