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zoom RSS 明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯 その2

<<   作成日時 : 2017/02/03 06:38   >>

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明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯(めいじてんのうぎょうこうしょきょうとふじんじょうちゅうがっこうあと)その2 2010年1月17日訪問

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明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯 2009年12月10日撮影


 2010年1月に京都府立鴨沂高等学校を訪れた際は高校として使われていたが、2014年には建替工事が始まっていた。そして2016年には校舎の姿も無くなっていたので非常に驚いた。当初は平成28年(2016)末には完成する予定だったが、土壌汚染が判明し竣工が平成30年(2018)夏に延びてしまったようだ。この土壌汚染の原因が過去の土地利用に関係するものなのか気になるところではあるが、この項では校門の北側に建てられた石碑について考えてみる。

 鴨沂高等学校の校門が河原町の九条邸から移設したものであることは、女紅場址で既に説明した。
 新英学級及女紅場は日本最初の公立女学校として明治5年(1872)4月、旧九条殿河原町邸に設立されている。その後、明治7年(1874)英女学校及女紅場、明治9年(1876)5月に女学校及女紅場、明治15年(1882)には女紅場の名が廃され京都府女学校に改称している。更に明治20年(1887)京都府高等女学校に改められている。これらは単に学校の名称の変更だけでなく、女子教育の方針自体やカリキュラムが大きく揺れ動いた結果でもある。
 そして九条殿河原町邸より松陰町に移転したのは明治33年(1900)8月のことであった。移転後も校名変更は続く。明治37年(1904)に京都府立第一高等女学校、そして大正12年(1923)に京都府立京都第一高等女学校へと変更されている。そして、この名称は戦後の学制改革まで続き、昭和23年(1948)4月に現在の京都府立鴨沂高等学校となる。つまり鴨沂高等学校の前身となる京都府高等女学校が松蔭町に移転してきたのが明治33年(1900)であり、それ以降この地は学校として使われてきた。

 校門脇の石碑には、明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯とある。京都府高等女学校ではなく京都府尋常中学校とあるのは、南面に記されたように「明治二十年二月一日 行幸」が行われたためである。明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯でも書いた様に、この行幸は「続日本史籍協会叢書 明治天皇行幸年表」(東京大学出版会 1933年発行 1982年覆刻)の254頁にある。1月25日に孝明天皇20年御式年祭御執行のため、皇后を伴い東京を御出発している。新橋より鉄道を使用し横浜に向かい横浜御用邸で小休止した後、横浜港より軍艦浪速に御乗船されている。翌26日に神戸港に御上陸し汽車により京都に御入りになっている。京都御所に御宿泊され29日には二条離宮と京都府庁を御訪問している。そして30日には皇后とともに後月輪東山陵にて孝明天皇御親祭を執り行ない、後桃園天皇陵、光格天皇陵そして仁孝天皇陵を御拝されている。すなわち、第118代後桃園天皇、第119代光格天皇、第120代仁孝天皇と第121代孝明天皇の前の歴代天皇の御陵を御訪問されている。特に光格天皇と仁孝天皇は明治天皇にとって曽祖父、祖父にあたる閑院宮系の天皇である。後桃園天皇は月輪陵、光格天皇と仁孝天皇は後月輪陵に祀られている。月輪陵と後月輪陵は泉涌寺の南東に築かれている。

 明治20年(1887)1月30日に後月輪東山陵で例祭が行われたことで気がついたことがある。孝明天皇は慶応2年(1866)12月25日に崩御されている。これを新暦に直すと1867年1月30日になる。そのため孝明天皇例祭は1月30日に執り行われるようになっている。先日、天皇陛下が微熱のため宮中祭祀の出席を取りやめたという記事があったが、1月30日午前、皇居・皇霊殿で行われる孝明天皇例祭へのご出席が予定されていた。

 京都行幸の目的である孝明天皇20年御式年祭を執り行なわれた後、明治天皇は2月14日まで京都に御滞在されている。そして2月1日には丸太町通の新古美術会を御巡覧された後、寺町通の京都府尋常中学校の授業を御視察されている。
 明治天皇は2月15日に七条停車場から汽車に御乗車され汽車で大阪に入り、軍関連の施設の御視察と共に第三高等中学校及び大阪府立師範学校への御巡覧を行われている。再び16日に京都に御戻りになられ、18日に修学院離宮19日に桂離宮を御訪問されている。そして21日に大津を経て名古屋に入られ、23日に武豊港より浪速に御乗船され、24日に横浜港より皇居に還行されている。

 現在の鴨沂高等学校の地が幕末維新からどのように使われてきたかを調べてみる。先ず文久3年(1863)刊行の「文久改正新増細見京絵図大全」から見て行く。寺町通荒神口から南に向って、「オタキ」「同」「御付」「オノ里坊」と記されている。オタキと同には公卿の愛宕家の屋敷があった。愛宕家は村上源氏中院庶流で家格は羽林家。愛宕通致・通旭父子は慶応2年(1866)8月30日に発生した廷臣二十二卿列参事件に加わっている。
 次に慶応4年刊行の「大成京細見繪圖 : 洛中洛外町々小名」を見たが良く分からないので、同じ絵図を基にした「もち歩き幕末京都散歩」(人文社 2012年刊)を参照する。「戸田ヤシキ」「小のサトフ」「院御付」という文字が見える。北側のグランドには「御付組ヤシキ」と記されている。「戸田ヤシキ」とは宇都宮藩戸田家の京屋敷、「小のサトフ」は随心院門跡の里坊であったようだ。上記の文久改正新増細見京絵図大全や幕末京都史跡大事典(新人物往来社 2009年刊)に掲載されている「慶応二年一月御所付近の図(雲上抜錦より)」には戸田屋敷がみられないので、あるいはこの間に作られたものかもしれない。幕末で戸田家といえば、大垣藩戸田家と宇都宮藩戸田家と宇都宮藩家老で山陵奉行に任じられた戸田忠至が考えられる。大垣藩の京屋敷は富小路通二条下ル東側であるので、宇都宮藩戸田家の屋敷であったとも考えられる。ちなみに戸田忠至が山陵修補の功が認められ高徳藩の初代藩主となったのは慶応2年(1866)3月のことであった。以上が幕末の松蔭町周辺の状況であった。

 明治維新となって松蔭町に先ず入ってきた教育施設は、行幸の石碑にあった京都府立尋常中学校である。国立国会図書館のレファレンス協同データベースによると、京都府立尋常中学校は下記のような変遷を辿っている。

明治 3年(1870)12月 二条城北の旧京都所司代屋敷に京都府中学校として開校
             学校と学事行政機関を兼ねた
明治 6年(1873) 2月 中学の名称を廃し小学校取締所を設置
明治 6年(1873) 7月 現在の京都府庁内に新築移転
明治 9年(1876) 4月 小学校取締所を仮中学と改称
明治12年(1879) 4月 仮中学を京都府中学と改称 行政機能を分離
明治17年(1884) 9月 京都府中学を京都府京都中学校と改称
明治18年(1885) 6月 上京区寺町通荒上口下ルに新築移転
明治19年(1886) 7月 宮津・亀岡・三山木の3中学校を廃止
             京都府京都中学校に併合
明治20年(1887) 1月 京都府尋常中学校に改称
明治21年(1888) 4月 上京区新町通出水上ルに移転、
             大谷派本願寺の大谷尋常中学校と合併
明治26年(1893) 3月 大谷派本願寺の経営から分離
明治26年(1893) 4月 上京区新町下長者町下ル両御霊町に
             京都府尋常中学校を開設
明治30年(1897)10月 左京区吉田近衛町に移転
             新町下長者町の校舎を分校とする
明治32年(1899) 4月 京都府第一中学校に改称
明治34年(1901) 9月 京都府立第一中学校に改称
大正 7年(1918) 4月 京都府立京都第一中学校と改称
昭和 4年(1929) 4月 左京区下鴨梅木町へ移転
昭和23年(1948) 4月 京都府立洛北高等学校に改称
             現在の鴨沂高校の地へ移転
昭和23年(1948)10月 高校再編により閉校
昭和25年(1950) 4月 左京区下鴨梅木町に京都府立洛北高等学校
             として開校、現在に至る

 二条城の北側、京都所司代屋敷に京都府中学校として開校した京都府立尋常中学校は、明治18年(1885) 6月に寺町通荒上口下ルに新築移転してきている。この時、京都府京都中学校という名称であったが、翌20年(1887)1月に京都府尋常中学校に改めている。そして同年2月1日に行幸が行われている。引っ越してから2年弱、尋常中学校という名称になってから1ヵ月後のことであった。さらに明治21年(1888) 4月に上京区新町通出水上ルに移転している。京都府尋常中学校が荒神口通にあったのは2年10ヶ月であった。
 次に松蔭町に入ってきたのは京都府師範学校であった。その創設から移転までの略歴は以下の通りである。

明治 7年(1874) 6月 下立売釜座の小学校取締所内に小学校教員講習所を設置
明治 8年(1875) 2月 下立売釜座の京都府中学校内に教員仮講習所を設置
明治10年(1877) 6月 京都府師範学校が京都御苑石薬師御門内、
             准后里御殿を仮校舎として開校
明治13年(1880)12月 下立売釜座の新校舎に移転
明治16年(1883) 2月 附属小学校を開設
明治20年(1887) 1月 京都府女学校師範科を移管、京都府師範学校女子部とする
             校舎は上京区土手町丸太町下ル駒之町の九条邸跡
明治21年(1888) 4月 師範学校令に準拠し京都府尋常師範学校と改称
             修業年限4年、入学資格16歳以上
明治21年(1888) 7月 女子部が上京区寺町荒神口上ルの旧知事邸に移転
明治22年(1889) 4月 男子部が上京区第二二番組荒神口松蔭町の
             旧尋常中学校校舎に移転
明治24年(1891) 9月 男子部校地に女子部も移転
明治32年(1899) 4月 師範教育令に準拠し京都府師範学校と改称
             修業年限4年、入学資格 男子16歳以上・女子15歳以上
明治33年(1900) 4月 愛宕郡上賀茂村字小山(現・京都市北区小山南大野町)に
             新築移転

 京都府立尋常中学校にあった小学校取締所内に、明治7年(1874)学校教員講習所が設置されたのが都府師範学校の始まりとされている。最初は二条城北側の旧京都所司代屋敷にあったが、明治10年(1877) 6月、京都府師範学校が京都御苑石薬師御門内の准后里御殿を仮校舎として開校している。明治13年(1880)12月には下立売釜座、すなわち京都守護職屋敷に建てられた新校舎に移転している。
 明治20年(1887)1月、京都府女学校師範科を移管、京都府師範学校女子部としている。この時の校舎は上京区土手町丸太町下ル駒之町の九条邸跡とあるので、新英学級及女紅場として始まった京都府高等女学校と同居していたこととなる。翌21年(1888)7月には、女子部が上京区寺町荒神口上ルの旧知事邸に移転している。これは現在の鴨沂高等学校のグランドかその北側あたりになる。さらに明治22年(1889)4月、男子部も上京区第二二番組荒神口松蔭町の旧尋常中学校校舎に移転してきている。尋常中学校は既に明治21年(1888)4月に上京区新町通出水上ルに移転している。そして明治24年(1891) 9月には女子部も男子部の校地に移っている。明治32年(1899)4月に京都府師範学校に改称し、翌33年(1900)4月に愛宕郡上賀茂村字小山(現・京都市北区小山南大野町)へ転出している。

 この次に入ってきたのが新英学級及女紅場から始まった京都府高等女学校であった。

明治 5年(1872) 4月 日本最初の公立女学校として新英学級及女紅場が
             旧九条殿河原町邸に設立
             新英学校では英語、女紅場では技芸の授業が行われた
明治 7年(1874)    英女学校及女紅場と改称
明治 9年(1876) 5月 女学校及女紅場と改称
明治15年(1882)    女紅場の名を廃して京都府女学校と改称
明治20年(1887)    京都府高等女学校と改称
明治33年(1900) 8月 九条殿河原町邸より現校地に移転及び、
             茶室と正門の同邸よりの移築
明治37年(1904) 4月 京都府立第一高等女学校と改称
大正12年(1923)    京都府立京都第一高等女学校と改称
昭和23年(1948) 4月 戦後の学制改革により京都府立嵯峨野高等女学校と合併
             京都府立洛北高等学校を同居学習として迎え入れ
             京都府立鴨沂高等学校に改称
昭和23年(1948)10月 高等学校再編成により洛北高等学校、嵯峨野高等女学校が
             閉校 新制高校・京都府立鴨沂高等学校となる

 明治5年(1872)4月に日本最初の公立女学校として新英学級及女紅場が旧九条殿河原町邸で誕生している。その後数度の改称を経て、明治20年(1887)に京都府高等女学校となる。明治33年(1900) 4月に愛宕郡上賀茂村字小山へ転出した京都府師範学校の跡地に、九条殿河原町邸よりから移ったのは同年8月のことであった。その際に九条邸より茶室と正門を移築している。明治37年(1904)に京都府立第一高等女学校、大正12年(1923)には京都府立京都第一高等女学校と改称したが、戦後の高等学校再編成によって新制高校・京都府立鴨沂高等学校となった。

 以上のように明治維新後、京都府立尋常中学校、そして京都府師範学校が比較的短い間ではあったが、この地で教育を行っていた。現在の京都府立鴨沂高等学校の前身となる京都府高等女学校が松蔭町に移転したのは明治33年(1900)8月のことであった。

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明治天皇行幸所京都府尋常中学校阯 2009年12月10日撮影


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