徘徊の記憶

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zoom RSS 昭和京都名所圖會

<<   作成日時 : 2017/01/22 16:30   >>

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昭和京都名所圖會(しょうわきょうとめいしょずえ)

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昭和京都名所圖會 「新撰京都名所圖會 巻三」 洛中の部1


 2016年末から2017年始に向け、竹村俊則の「昭和京都名所圖會」の特集を準備してきました。しかし想像以上に作業に時間を要したことにより、2017年1月末更新という何とも格好の悪いこととなりましたが、ここに公開いたします。

 竹村俊則については、本ブログでも何回か取り上げていますので、御存知の方も多く居られることと思います。比較的新しいエントリーとして、大久保利通旧邸で、「京の史跡めぐり」(京都新聞社 1987年)を参照しております。明治11年(1878)の大久保暗殺後も大久保家によって、この石薬師の中二階建の邸宅は維持されてきたが、昭和30年頃に売却され近代的な家に建て替わったという旨が記されています。また京都御苑 縣井でも、「昭和京都名所圖會 洛中」(駸々堂出版 1984年刊)より下記の一文を引用させてもらいました。

むかしは井戸のそばに県宮があって、毎年正月に行われる県召の除目には、諸国の外官(地方官)がこの井戸水で身を清め、栄進を祈ったといわれ、一に井戸殿ともいわれたが、今は神社はない。


 さらに、京都の地図 その2では、「新撰京都名所圖會」と「昭和京都名所圖會」を地図データベースへの組み込みを行いました。

     新撰京都名所圖會

     昭和京都名所圖會

 この時は目次にあげられていた項目を地図上に表示するだけでした。その後、本文を読み進めてゆくと目次以外の項目も立項されていることが分かり、いつかは整理しなければいかないと感じていました。今回の特集は「昭和京都名所圖會」を読み直し、竹村俊則が取り上げた寺社仏閣や史蹟などに関連する場所をなるべく詳しく地図上で表示し直すことを目的としています。

 竹村の著書は、単なる京都を紹介する書籍、所謂京都本と呼ばれるものや旅行のガイドブックとは一線を画しています。その書名に圖會をという言葉を添えていることからも分かるように、かつての名所図会を現代に復活させるという志があったことは、「新撰京都名所圖會 巻六」(白川書院 1965年刊)のあとがきからも明白です。現代の京都を表現するための地誌を選ぶならば、「新撰京都名所圖會」あるいは「昭和京都名所圖會」をあげることに異論を持つ人はいないでしょう。
 その中でも「新撰京都名所圖會」ではなく「昭和京都名所圖會」に選んだのは、「新撰京都名所圖會」で書き切れなかったことを「昭和京都名所圖會」に纏めていること、また出版年が新しく掲載されている項目が現在の京都でもまだ残されている可能性が高いことを考慮したからです。もちろん「新撰京都名所圖會」から「昭和京都名所圖會」の出版の間で、削除されたものや追加されたものが何であったかを明らかにすることにも興味を持っています。このあたりは次回の特集でご披露できればと考えております。

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昭和京都名所圖會 「古寺巡礼 大徳寺」 竹村俊則画 昭和52年6月

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昭和京都名所圖會 「昭和京都名所圖會 巻五」114頁 竹村俊則画 昭和59年7月
若干トリミング位置が異なるが点景の描写などから2つは同一の画と思われる


 本題に入る前に、竹村俊則との出会いについて書いておきます。この「徘徊の記憶」を書いて行くために探していた書籍の中に竹村の挿絵を見つけたのが始まりです。淡交社の旧版の「古寺巡礼京都」の見返し部分には、竹村俊則の描いた鳥瞰図が装丁されています。このシリーズは1976年から1991年にかけて30巻が出版されました。中でも南禅寺、妙心寺、泉涌寺、大徳寺、東福寺、建仁寺、相国寺、天龍寺などの巻は、大きな堂宇の細部の装飾から塔頭の茶室まで丁寧に描きこまれおり、見る者に感動を覚えさせるほどの出来上がりとなっていました。単に表現が上手く絵画的に美しいというだけでなく、細かく描かなければならない部分を理解し、実際に現地を訪れなくてもこの絵によって実に多くのことを確認することができました。そのような鮮烈な出会いがあったため、当初は挿絵画家という認識が強くありました。
 程なくして「新撰京都名所圖會」に出会い、竹村の本業が郷土史研究家であることを知りました。この「新撰京都名所圖會」には、歴史書では取り扱わないような出来事や昔からの伝承が、実に多く記されています。例えば「新撰京都名所圖會 巻二」の小野郷では下記のような記述を見ることが出来ます。

大森惣墓は東・中・西の各三ケ町ごとにある。惣墓とは部落の共同墓地のことで、部落では死人はすべて土葬とし石碑のかわりに一個の自然石をおいてしるしとする。今日のように庶民の墓地に石碑をたてるようになつたのは室町時代以後のことで、それ以前は墓地全体の供養として極く少数の供養塔を立てるにすぎぬ。中町墓地はこの適例で、墓地の南端にある供養塔は花崗岩製、高さ五尺からなる五輪塔(吉野)で、水輪正面に梵字を蓮座上に安置したものをきざむ。また東町墓地の五輪塔は慶安五年の銘があり、西町墓地の五輪塔には至徳二年の銘があつて、いずれも吉野時代のもので、惣墓供養塔である。


 惣墓とは上記説明のとおり、大和・山城・河内・和泉など畿内の平野部に見られる共同墓地のことであり、15世紀末から16世紀に確立しています。木津川の氾濫によって命を落とした村人を供養した木津惣墓や石造美術として惣墓五輪塔が取り上げられることがありますが、それも限られた範囲のことです。ちなみに2017年1月時点で、惣墓という言葉はwikipediaに登録されていないようです。それ程一般化している言葉ではないようです。
 このように竹村の記述は、名所旧跡紹介に留まらず、地域に根付いた者でしか知りえないものまで及んでいる。さらに驚くべきことは、このような微視的な視点を以って京都市内は勿論、旧山城国全域について調べていることです。

 「新撰京都名所圖會」の方は出版年も古く、蔵書している図書館が多くありません。実際、全7巻を借り出すために遠くの図書館まで出張致しました。また古書として手に入れることも難しいので、結局全ての頁をスキャニングし画像データにして今も手元に置いてあります。その後すぐに「昭和京都名所圖會」の存在を知り、こちらも画像データとして保存しました。そうこうしているうちに、t.okunoさんの京都第二主義で、新撰京都名所圖會を取り上げているのを見つけました。3回に分けて書かれたブログで竹村俊則の経歴から「新撰京都名所圖會」執筆に至った経緯、そして「昭和京都名所圖會」との比較が記されています。竹村の経歴等については、上述のように「新撰京都名所圖會 巻六」のあとがきがかなりのことを教えてくれます。また両書の挿絵の比較についても、「新撰京都名所圖會」で表わされた“古き町並みが新しく変わろうとしている姿”に惹かれるt.okunoさんの意見にも共感できます。また絵自体も写実性の追及が強くなった分、初期の絵にあった情緒性が薄まったようにも感じられます。
 しかしどちらも既に過去の京都の姿を表現した絵になっていることは事実です。その中でも前者に対してより郷愁を感じるのは、同じ時代を生きてきた者の共感に過ぎないかもしれません。もしかしたら50年100年後の人が見たら、この2つの挿絵から時代の差を読み取ることができないかもしれないからです。竹村が再び「昭和京都名所圖會」で挿絵を一新したのには、江戸時代の名所図会と現在の京都と見比べることができるようにという「新撰京都名所圖會」の執筆時の考えを忠実に実行したためと考えます。それは個人的な郷愁などより、時代を挿絵の中に残すこととそのための写実性を優先したからでしょう。竹村は、自らの本業は郷土史の作家であり、挿絵の才能が秀でていても画は文章を説明するものと位置づけていたように思います。

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昭和京都名所圖會 「新撰京都名所圖會 巻三」 四条大橋

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